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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

リストラなう!その12 若者はみな悲しい

 四月も半ばというのに東京は氷雨が降っている。早期退職優遇制度の申込はあと今日と明日を残すだけだが、週が明けて申込者が激増した、という噂はまったく聞かない。外から冷え切った身体で出勤してくる同僚たちはみな心なしかぐったりしている。月曜の朝、憂鬱な一週間が始まった。
 もし五十名の募集枠が順調に埋まっていて、あと数人、という状況になったら会社は「アナウンスします」と言っていたはず。何も言わないということはまだまだ埋まってないのだろうか。金曜に明らかになった大幅減給も、対象者の心を動かすには至らなかったようだ。状況は膠着したように動かない。
 僕は最近、退職後に何をしようかと考えるのが楽しい。不安はものすごくあるけれど、これまでのようにただ働くだけで大枚の給料を取ることはできないけれど、六月以降が楽しくてしかたがない——と思うようにしてる。そうしないと不安に押しつぶされるからナ。


■退職後の目標——若者と関わり続けること
 とりあえず、退職後に何をするかの目標を立てた。最初の目標は「ずっと、何かしら、若者と関わり続けること」とした。若者って誰なのか、何歳くらいまでなのか、関わるってどうするのか、はっきりとは決めてないが。たとえば、年上と一時間話をした日は、必ず年下とも一時間話をする。知らない若者と会話する状況を嫌がらない。悩みを相談できる年下の友達を作る。……など。
 なぜ年下か? それは、退職した僕が仕事をするなりセミリタイアするなり再就職(これは望み薄だが)すると、おそらく平均45歳以上のコミュニティに取り込まれることになるだろうから。東京は年寄りが多い。いやたぶん日本全体、年寄りが若者より多い。僕ももう半分以上年寄りに近いし、何の努力もしないでいると、地域社会でも仕事社会でも絶対、年寄りの中に埋没して生きることになる。
 僕は左翼思想誌「ロスジェネ」や雨宮処凜、赤木智弘、あるいは城繁幸の言説が好きだ。唐突な信仰告白ですみません。あるいは後藤和智。最近はTBSラジオ「LIFE」の鈴木謙介。こうやって並べると「俺とあいつを並べるな!」と全員から怒られそうだが、おおざっぱにまとめると彼らはロストジェネレーションズですよね、ファンなんですよ。ヒリヒリとした痛みを伴う言説。飢餓感。あるいは彼我の断絶感。全部好きだ。
 彼ら、“貧乏くじを引いた若者たち”のことを「好きだ」なんて言うと、「またバブル世代がいい気になりおって」と怒られるかもしれない。すみません、その通りです。典型的バブル世代からの思い上がった上から目線かもしれません。でもそれでもこんなこと言うのは、僕も若い頃、イヤな思いや苦労をしたからなんですよ。
 なんて言うと、さらに怒られるんだろうな。既得権持ったヤツが言う台詞か!とかって。
 でも僕にはわかるのだ。今の若者たちが置かれた苦境の一つが、リアルにわかる。僕もほぼ同じことを経験したから。90年代にバブル崩壊を横目で見ながら踊り続けた会社の片隅で、僕はけっこう悲惨な青春を送っていた。今、それと同じ構造の悲劇が全社的、いや日本全体で起きている。


水木しげる二等兵の悲劇
 今年のNHK朝の連ドラは「ゲゲゲの女房」だ。今週から青年時代の水木しげる先生が登場して盛り上がりつつある。朝のNHK総合で、主題歌の背景とはいえ、鬼太郎ねずみ男がアニメするのを見ることになろうとは。
 きっとNHKの中核で意思決定するやつが僕と同世代の水木ファンなんだな。17年前に土曜ドラマ「私が愛したウルトラセブン」というのが放映され、NHKドラマの現場には強いウルトラファンがいるんだなと思ったが、今や局の看板番組にゲゲゲを起用するまでになったのだろう。こいつらもたぶんバブル世代だ。たぶんそうに違いない。
 それはさておき、僕はウルトラも好きだが水木先生も好きだ。子どもの時から先生の作品は全部読んでいる。「ゲゲゲの女房」がこれからどうなるかももちろん知っている。水木先生の半生も全部そらで言える。
 水木先生も若者の頃、苦労された。というか、こんな僕のような甘ちゃんが「水木先生も苦労された」なんて言うと失礼すぎる。万死に値する。先生は戦場で死線を彷徨い九死に一生を得て帰還されたのだ。その模様は『総員玉砕せよ』ほかの戦場漫画に詳しい。読まれましたか? なに未読? それはいけない。すぐに買って読まねばなりません。
 この作品には戦争の悲劇があらんかぎりの筆致で描き込まれているが、なかでも水木先生が苦労されたのは何だろう?と推測するに、それはたぶん「軍隊の理不尽さ」だろう。作品には、初年兵の水木先生が古兵どもにこき使われる有様がさんざん描かれている。
 問題は、ただ理不尽にこき使われたことではない。水木先生は、南方に派遣された1943年から終戦を経て引き揚げる1946年まで、ずーっと初年兵だったのである。これが最大の悲劇だったのだ。
 もうこんなこと知ってる人は多くないかもしれないが、日本陸軍の兵卒では、階級よりも応召してからの年次(メンコの数)のほうがものを言った、んだそうだ(有馬頼義兵隊やくざ』参照)。一年違えば天国と地獄。逆に言えば、一年下に初年兵が入ってくれば、地獄から解放されるのである。あとは二年次、三年次と天国が続く。
 ところが南方はラバウルに派遣された水木先生は、戦局の悪化のため以後補充兵が来ることはなく(下に新兵が来なかったわけ)、ずーっと初年兵の辛酸をなめ続けた。途中、爆撃で左腕をなくされるという苦労もあったが、作品をつらつら読むに、大怪我よりも古兵による理不尽ないじめのほうがよほどイヤだったと思われる。戦後も悪夢を見てはうなされたというが、それはたぶん、左腕を失った記憶ではなく、古兵たちのイヤな記憶だったに違いない。
 これは出口のない苦しみだったろう。さぞ大変だったろう。そこから生還なさったことをほんとうに言祝ぎたい。
 ところが、今の若者たちが置かれた状況は、ラバウルの水木先生とそっくりなのだ。
 僕が働く会社は去年新人を採用しなかったので、今年の4月1日は何もなかった。例年なら新人の配属発表があるのだが。実は2000年代の何年か、同じように新人を採用しなかった年が、数年にわたってある。経営者はたかだか三年くらい、と思ったかもしれないが、若者にとってこの三年の人事ギャップは大きい。いつまでも一番下っ端だと、疲れが抜けない、絶対的に疲弊するのである。
 もちろん若者は年寄りよりタフだし、体力があるし、実は頭もいい。何の経験もない新人がただ若いというだけで、ベテラン社員2人分くらいの働きをしてしまうこともままあるのだ。
 そのため若者は、バカな年寄りから、便利に使われてしまう。こき使われてしまって消耗し、仕事での蓄積ができなくなる。使い走りばかりになり、責任が伴い判断が問われる仕事をさせてもらえない。キャリアを形成できない、といったことまで起こる。
 実は、僕も90年代に編集部で働いていたとき、同じ苦しみを感じていた。僕はバブル世代で同期入社も多いが、何の運命のいたずらか、7〜8年もの間ずーっと編集部で最年少だった。下に誰も入ってこなかったのだ。バブル期で採用も多かったはずだが、たぶん皆、広告のたくさん入るファッション誌に配属されたのだ。人事はおろか社内の誰も気づかなかったろうが、ミクロなミクロな規模で、ラバウルの水木先生と同じ悲劇が僕を襲っていた。
 自分で言うのもなんだが僕は適当に仕事ができるし、純朴な田舎者なので上司にたてつくこともしなかった。なので当時の編集長からそれは便利に使われた。当時は便利に使われてるって気づかなかったし、給料も上昇カーブを描いてたので不満はなかったのだが、閉塞した環境に押しつぶされるようにある時僕はパンクした。
 会社はその後、2000年代の長い長い斜陽期を歩んでゆくのだが、僕は幸いなことに配転され、呑気な部署でリハビリすることができた。
 そして今、社内を見渡すと、格段に厳しくなった状況の中で、あちこちの部署で、もう数年にわたって初年兵を務めている若者たちがいる。僕のときと違って給料は上がらない。仕事の強度は年々増す。はっきり言って泥沼の戦いだ。それなのに、下が入ってこないのがどんなに苦しいか、年寄りは思い至らない。若者はなかなか気づかないのでそれを訴えない。気づいて訴えても退けられる。だから若者の悲劇は続く。


■しょせん出版なんて“若気の至り”
 しみじみ思うのだが、出版なんて、大人げない行為だ。表現するってことは、子どもっぽい行為だ。
 いま会社がやっている/やりたいのは、年寄りに好かれる企画を立て、年寄りの代理店や年寄りの読者を集めてマネタイズし、広告やまとめ買いでパッと金を稼ぐことだ。
 もちろん、これがいけないとは言わない。こうしたがんがん稼げるスキームがあったのは大変なことだ。とくに雑誌広告は。広告がなかったらこれまでの高給はとうてい存在し得なかった。といってももう高給は崩壊するわけだが。
 だが、出版を志した人たちが、最初から「クライアントと代理店とうまくやって、こういうスキームでがんがん稼いで」なんて志望しているわけはない。何か面白いこと、何か好きなことをやりたくて業界を目指したはずだ。稼ぐのが好きなのなら自分で起業するほうがいいしね。
 僕は最近しばしば考える。稼ぐことは大事だが、自分の表現衝動をそこに添わせないと、出版なんてやってる意味はない、と。ましてこれから収入は下がっていくのだ。もっと自分の表現衝動に忠実にならないと、やってらんないと思う。また、表現衝動を大事にすることでブレイクスルーすることが増えてくると思う。
 せんだって僕は「電子書籍」を礼賛する(かのごとく読める)エントリを書いたが、あそこで触れなかった重大なことがある。実は、電子書籍はまだまだ全然儲からないのだ。だから、電子書籍なんかやらないよー、ポーズだけだよー、といわんばかりの業界大手の態度は、実はある意味で正しい。金にならないことをやらないのは大事なことだからだ。これはある種の見識だ。
 だが、こうした計算だけではやはりダメなのだ。電子書籍のことを面白そうと思ったら、無鉄砲に挑戦してしまう子どもっぽさが必要なのだ。面白そう、魅力的なこと、なぜだか惹かれること、を無視するようになったら、たぶん金儲けに必要な感覚や技能も衰えてしまうだろう。
 僕がこれに気づいたのは、つい先月の終わりだった。退職すると決めたときだ。
 だから、バカなことをやってしまうと思ったとき、自分を止められなかった。止める必要を感じなかった。年収の金額を公開するなんて無分別なこともやめようとは思わなかった。
 ステイ・ハングリー。はこれから無職になるから該当するよね。まずは、ステイ・フーリッシュ。で行くから。悪いね。


 ただ、後悔があるのは、若い世代のことだ。先に逃げ出してすまん。
 だけど、僕がいなくなればなにがし席が空くだろ? 会社にって意味だけじゃなく、業界全体でも1人分空席ができるのは大きかないかい?
 だから、いま苦労してる若い人には、「丸くなるな。バカでいろ」と言っときたい。それがたぶんあなたを救う唯一の方向だし、業界というか、この本来は子どもっぽい表現衝動を中心に回っている微妙なビジネスの、新しいブレイクスルーになる力だと思うのだ。
 ああ、こんなことは実は若い人はとっくに気づいてるだろうな。あの天才編集者とか、全然丸くならないもんな。子どもっぽいままだ。素晴らしい。
 会社も捨てたもんじゃないと思う。再建をせつに願う。(つづく)