新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

かわいそうなドコモ

さっきのエントリ書いてて思ったんだけど、ガラパゴス携帯の側の人たちはきっと今ものすごく悩んでるんじゃないかな? ていうか、悩んででほしいよ! まさか、相変わらずシェアは高い、とか、iPhoneなんてどうせ際物、とか思ってあぐらをかいてるんじゃないだろうね!?

iPhoneによるソフトバンクの純増はすごい。何カ月も連続1位なんだって? でも、それだけじゃない、数だけじゃない。iPhoneユーザの増加は必ず、日本の携帯ユーザ全体の質を変えるはずだから。ドコモは今自分たちが正念場にいることを認識できているんだろうか。


ドコモはずっと一人勝ちを続けてきた。シェアは動かしがたいくらい大きい。iモードはいまだに成功してるし、ドコモ型の日本語入力に慣れた人、これが好きな人もすごく多い(と思われてる)。この型の日本語入力はauソフトバンクも主流だし。
しかし、iモードはもはや明らかに時代遅れの低品質なサービスだ。そして、従来型の日本語入力を使っている人の多くは、逆トグル入力の存在を知らなかったりする。それは、逆トグルがメーカーごとに異なるキーに割り付けられてるせいでもあるが、要するに従来のユーザは不自由を忍んで使い続けているだけなのだ。「携帯電話の日本語入力なんてこんなもんだ」と半ば諦めて。みんなドコモに満足なんてしてないのだ。それをドコモは気づいてない!!


きっとドコモは、シェアの高さを顧客満足度の高さだと思っているのだろう。全然違うのに。
規格の違いとか、電波・通信行政の違いといった非関税障壁に守られて、ドコモは高いシェアを獲得した。そこにiPhoneが殴り込んできた。まだまだiPhoneは数的には弱小だ。だが、iPhoneに触れた人の数があるていどまで増えたとき、みんなは一斉に気づくのだ。「今まで騙されてたよ!」と。


「100匹目のサル」という話がありましたよね、昔。幸島かどっかのサルが、イモを洗って食べると美味しいことに気づいた。イモを洗うサルは最初は少数派だった。だが、イモ洗いサルが100匹を超えたとき、島全体のサルが一斉にイモを洗い始めた、と。それだけじゃない、遠く離れた場所のサルたちもイモを洗い始めた…。
ニューエイジが流行った頃聞きましたよね。ま、これって実はライアル・ワトソンがついたウソだってことで、ある閾値を超えると同時多発的に変革が起きる、ということはあり得ないらしい。
けど、僕たちはサルじゃない。遠隔地の誰かともつぶやきでつながったりしてる訳で、意外に侮れないよ〜と思うのだ。


ドコモはずっと成功してきたため、その間自己変革を怠ってきた。あまりにもシェアが高いため、革新的な日本語入力とか搭載する必要がなかった。いやむしろ、革新的なものはドコモの保守的なユーザに受け容れられないんじゃないかと、日の目を見なかったんじゃないか?
iPhoneのように革新的なものは、これまで営々と築いてきたものをいったん否定するという、過酷なプロセスを経なければ生まれてこない。そして、「誰もついてきてくれないんじゃないか」という恐怖と闘いながら世に問われる。iPhoneに限らずAppleはいつもそういう挑戦をしている。おかげでたまにはとんちんかんなものも世に出してしまうが。iPodオーディオとかそうでしたね。
それはさておき。ドコモはAppleと違って、緩やかな変革、漸進的な改良が好きなんじゃないかな。PRADAフォンを見事にガラパゴスローカライズした手腕は、けしてLGだけのものじゃないだろう。それはつまり、過去の成功体験を否定しない姿勢だ。


理由はいっぱいあると思う。同情の余地もある。変な新技術出して総スカン食うのが怖いんだね。今手にしてる成功を捨てるのが怖いんだ。よーーくわかるよ。


でも、時代はものすごい勢いで動き始めた。この僕ですらiPhoneを体験してその素晴らしさ面白さを吹聴せずにはいられない。ソフトバンクのショップは混んでるし、量販店の店頭でもiPhoneは人気の的だ。電車の中では女子高生たちがiPhoneを使い始めた。
キーがないとか、ストラップ穴がないとか、おサイフやワンセグがないとか、まあみんないろんなことを言ったけど、そんなのは全部どうでもいいこと、本質じゃないことだ。iPhoneはもっとトータルな、一気にステージを駆け上がるような、劇的な体験をさせてくれる。

ドコモのiPhoneというか、GoogleアンドロイドであるHTCの端末をドコモは自社スマートフォンの切り札としてリリースしている。僕も最初はこれが欲しかった。でも買わなかったのは、PRADAのようなガラパゴス加工が施されてるんじゃないかって疑念がぬぐえなかったからだ。ドコモのセンスを信用できないのだ。
なにしろドコモはもともと役人だからな。電電公社だから。革新性とは無縁なんだよ。


この先も、ドコモは既存のユーザにばかりおべっかを使う、十年一日のようなガラパゴスばかりを出してくんじゃないだろうか。その姿勢は、ある日ドコモを決定的に再起不能にしてしまうんじゃないか。そして、中の人たちはその瞬間まで気づかないんじゃないかと。


実は、僕が働いてる会社もこうなんだ。前世紀の遺物、出版業。いまだに紙の本出してます。危機感はあるけれど、どうしていいかわかりません偉い人は。
僕たち現場の人間はみんなわかっている。成功体験と訣別すること。本当に新しい一歩を踏み出すこと。それ以外に生き延びるすべはない。
成功って怖いんだよね。成功してる間はイノベーションが止まるから。ドコモの長い成功は、かなり不幸なことなんだよ。
出版業界も、長い成功が革新を遅らせた。革新せぬまま出版は今ついに倒れようとしている。
余談だけど、トヨタもやばいんじゃないかな。プリウスの成功。これは甘くて危険な罠だと思うよ。


ドコモが同じ轍を踏まない保証はないよ。ていうか、ドコモの中の心ある人、一緒にがんばりましょう。変なガラパゴス携帯作るのはもう止めよう。僕らも紙の本に訣別するだろうな、来年あたり。