新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

先週の「タマフル」サタデーナイトラボ、「映画をフードで分析する」理論は面白い!

 ラジオでいまもっともおもしろいTBS「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」、実は僕は土曜の夜は眠くて起きてられないのでリアルタイムには聞かないんだけど、Podcastでずっと聞いてます(ごめんなさい!)。
 いまさら先週分を聞いてたんだけど、特集記事に当たるサタデーナイトラボが実に面白かった。
 先週の概要は番組ブログで確認できる→リンクはこちら
 ゲストはお菓子研究家?の福田里香。この人は美大出身で、マンガや映画も批評するのだけど、その際奇妙な理論を使う。それが「フード理論」。まずその三原則を転載すると、

【フード三原則】
「ひとつ、善人は食べものを美味しそうに食べる」
「ふたつ、正体不明者は食べものを食べない」
「みっつ、悪者は食べものを粗末に扱う」

 これはつまり、映画やマンガなど創作物(主に視覚系だと思う)に登場する人物たちの、食べ物に関する行動によってキャラが強化されることを指している。
 番組では、「七人の侍」「天空の城ラピュタ」などを例に、ドラマが食べ物を使ってどのようにダイナミックに展開していくかを分析していた。志村喬がどう食べ物とからむかを福田さんの肉声で語られるとものすごく迫ってくるものがあった。飯茶碗を持った志村が発する「この米、ゆめ疎かには食うまいぞ」(うろ覚え)という台詞がどんな心理的効果を発するか、とか。
 この三原則、なかなか当を得ている。まんが『日出処の天子』(山岸凉子、1984完結)で主人公・厩戸王子はほとんど食べ物を口にしていない。それは彼がやはりとてもミステリアスな存在で、周囲の蘇我馬子や毛人、あるいは家族の来目王子などが頻繁に食べ物を口にしていたのと好対照だ。また厩戸の懐刀であり暗殺者である淡水はけっして食べ物を口にしない。彼が飲食したのは、厩戸が斑鳩の宮を建てて独立し、初めて男ばかりで安息を得た、という特異なシーンで、仲間たちの結束を表すときだけだった。なるほど、「食べる」という行為は連帯感とか生命力とかを象徴するわけね。
 スピルバーグの「ミュンヘン」はけして成功作じゃないけど、食べ物に関していろいろ意図的な演出があった。主人公・モサドの暗殺者アフナーは殺しの後、狂ったように包丁を振るうが、食べているシーンは印象にない。この映画でやたら食べているのは、フランス土着の謎の情報通の一族たちだ。彼らの健啖ぶりが、長旅での暗殺行で疲れ切ったアフナーたちと好対照となる。
 僕が今まで見たなかでいちばん食べ物がショッキングに使われていたのは「ゴッドファーザー」(Part I)だ。ほとんどおしまいの辺りで、太っちょで陽気な男クレメンザが「イタリア料理の秘訣を教えてやろう」(うろ覚え)と自らフライパンをとって料理する。「隠し味に砂糖だ」などと、実にアバウトだけど美味そうな料理を作って見せてくれる。ところが、このクレメンザがこのほとんど直後にじつに冷血な殺しを見せるのだ。自動車の後部座席から仲間の首を絞めて処刑するのである。この落差! フード理論を逆手にとった強烈なショック演出だ。この映画はほかにも「家族への土産のケーキを持ったまま殺す」といった激しく観客が混乱する演出があったりして、曲者だ。


タマフル」は映画に関する特集をよくやるけど、それが俳優論や作品論だったりせず、演出論であることが多いのが好きだ。あるいは「映画館論」だったり。これはつまり、観る者の心理を操作するメディアとして映画を捉えているのだ。たいへん正しい。映画は文化であると同時に、こころを操るドラッグなのだ。そして現代ではドラッグとしての映画技術が非常に発達しているのに、それを語ろうとする人が非常に少ない。
 たとえば10年以上前に岡田斗司夫は『オタク学入門』のなかで映画の構造分析をやってみせた。30分ごとに「導入部」「展開部」「主人公が状況に抗う反攻部(?)」という構成が普遍的、と喝破してみせた。これ以後の映画批評は全部変わらざるを得ないだろう、と思いきや、全然変わってない。相も変わらず批評家たちは旧態依然の感想文を書いている。
 タマフル宇多丸は違う。岡田斗司夫はもちろん、町山智浩などの先行研究をきちんと踏まえたうえで、最新の理論を次々導入しつつ、「映画はどのようにわれわれを操るか」「この映画はなぜ失敗なのか」「なぜすごいのか」研究を深めている。ホラー映画の仕組みとか、宇多丸の手でかなり暴露されてきた。これはすごいことだ。そして、ホラー映画関係者がすすんでタマフルに出演して手の内をばらしていくのも素晴らしい。「このていどバラしても平気。もっとすごいのを次は見せてやるから」と不敵に微笑んでいるかのようだ。こういう映画人の作品をどんどん観たい。それにしても、作文や感想文で「批評家」を名乗る、試写室に集まる人たちってなんなんだろう。


 そんなわけで、とても好きなんだけど、眠くてなかなか聴けない番組「タマフル」。今週は音楽特集なので無理にも起きて聴かなければ。Podcastでは音楽が全部カットされるからね。