新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

これも羅生門型の戦争映画「戦火の勇気」

 先だっての「告発のとき」がまだ尾を引いてて、こんな映画が見たいぬーと思って、こんな古い映画に手を出してしまった。1996年に作られた、湾岸戦争(1991)の映画。
 
 これは古い。出てくる電話がみなワイヤードだ。ベルもジリリリリ、と鳴る。主人公は公衆電話で家に電話する。いやー、時代を感じる。この映画が公開されたとき、タクシーにやたらと広告が出てたのを思い出すな。湾岸戦争を描いた最初のアメリカ映画だったかも。
 戦車隊長のデンゼル・ワシントン中佐は、夜戦で友軍の、それも親友の戦車を誤射して死なせてしまう。軍は事実を隠蔽し、中佐も戦車隊から事務職へと栄転する(ついでに名誉勲章もゲットしたようだ。ゴールドスター?)。栄転先での仕事は、女性で初の受賞者となるかもしれない名誉勲章候補者の事実調査。候補者のメグ・ライアン大尉は戦死しているので死後受賞となる。だが彼女の死と彼女の受賞理由となった勇敢な行為の真相がよくわからない。墜落したヘリに同乗していた下士官兵たちの証言は微妙に食い違う。「山一つ隔てて救助を待っていた部隊は、救助のとき、M16の銃声を聞いている。君らのM16の弾が切れたのはいつだ?」と聞くと、「夜中かな」「朝がた」とまちまち。一致するのは「(ともかく救助されたときはM16は誰も撃ってなかった)」という言外の主張。だが証言者たちは、ある者は自殺し、ある者は死にかけ、ある者は失踪する……。

 この映画は懐かしい1991年の戦争なので、基本は勝ち戦だ。その中での悲劇の真相を探るというものなので、重い雰囲気ながら基調はそんなに暗くない。あの戦争ではいろいろありましたー、なかには悲劇もありましたー、でも私たちはそれを直視し乗り越えていくんですよー、といったポジティブな映画だ。
 それなのに、驕った感じとかイヤな感じがしない、謙虚で、ちゃんと見応えのある良い映画になっている。湾岸戦争だとこの後「スリー・キングス」「ジャーヘッド」とかいろいろ作られた。でも、僕はこの「戦火の勇気」がいちばん好きかもしれない。マット・デイモンが出てたことに初めて気づいた。最初に見たのは1997年頃なので彼のこと知らなかったんだな。しかも非常に良い役を良い演技で務めている。デイモン衛生兵はライアン大尉の忠実な部下だったが、ヘリが墜とされ敵中で一晩持久戦を戦ううちに味方が分裂する。彼もつい「大尉、投降しましょう」と言ってしまう。これはライアン大尉にとってもっとも悲しい裏切りだった。大尉はそれを許さない、裏切った部下は全員軍法会議にかけるという。そのためデイモン衛生兵は肝心なときに恐ろしいウソをついてしまう…。生きて戦場から戻ったデイモン衛生兵は、煙草を立て続けに吸いながら、二度とヘリには乗りたくない、と語る。戦場で見たときとは打って変わって痩せている。顔も肉が削げ、目つきが不安げだ。この役作りと演技は素晴らしい。心が深く傷ついていることがビシビシ伝わってくる。意外なことに野外で埃にまみれても芸達者なライアンと、苦悩する黒人エリート中佐を演じるワシントンにはさまれ、さらにぎらっと光る演技のルー・ダイアモンド・フィリップスがいたりするのでデイモンの好演が目立たないが、実に実に良いですよ。
 ワシントン中佐のやさぐれた演技も素晴らしい。部下を誤射して(フレンドリーファイアというらしい。意図的に殺す場合はフラッギングとか)死なせてしまったことを部下の遺族に告白できず、そのうえ戦死した勇敢な女性大尉の献身的な行為を精査する、というめちゃくちゃストレスフルな状況で酒に溺れる演技が素晴らしい。小さなマスコットボトルを苛立ちながらひねって開け、グラスに注ぐのもまどろっこしく半分は口に注ぎ込む。正体もなく酔ってホテルのロビーを歩いてしまう、といった様子はめちゃリアル。こういう、人間がダメになっていくとこを描く映画、好きです。

 出てくる装備も時代を写している。M16はハンドガードこそ三角ではないが、ロングバレルでテレスコしないストック。スコープもつけない。この映画で初めてSAW(ミニミ)がバリバリ撃ってるのを見たなあ。ヘリはヒューイ=イロコイ。古いね、今はブラックホークだよね。攻撃ヘリコブラなのかアパッチなのか。戦車はM1A1エイブラムス、車両はハンビー。イラク軍の戦車はT-54。めっぽう古いね。でも初見のときはいずれも新鮮だった。そっから十数年、まさか世界がこんなに戦争まみれになろうとは思わなかった。湾岸戦争なんて、今イラクで戦われている悲惨な戦闘に比べたら、騎士道精神はあるし、勇敢な物語はあるし(『ブラヴォー・ツー・ゼロ』は大好きです)、なんか牧歌的な感じすらする。

 僕がこの作品に引かれるのは、戦争から帰った者たちが、いちように口を閉ざして語らなくなる、というところに共感するからだ。この映画は、謎を解くために様々な証言者を描いていく「羅生門タイプ」だ。「告発のとき」もそうだったけど。なぜこういう映画は羅生門(藪の中)になるのか。それはやはり、戦争で見たことやったことは語れないからだろう。誰もがぺらぺら口を開くのはおかしいのだ。逆に、そこには語られない重大なことがあるはずだ。だから人は喋る。煙に巻こうとする。
 そういう、人間の普遍的な心理、ネガティブな面だけど避けて通れないこと、これが好きだ。こういうことを描こうとする映画が好きだ。

 無許可離隊していたデイモン衛生兵を問い詰めると、真相らしいことが出てきた。救助のヘリが来てみなが乗り込んだとき、誰もが「大尉はそのとき負傷して(敵の砲撃にあって)すでに死んでいた」と語ったが、実はそうではなかった。生きて、M16を撃ってみなの脱出を援護していたのだ。一山越えたとこの部隊は、この銃声を聞いたのだ。そして部下の下士官兵たちは、大尉から反逆で告発される(軍法会議にかけられる)のが怖いので「大尉は死んだ」とウソをついた。大尉を支えてきたデイモン衛生兵ですら、大尉を見殺しにした。彼らが乗り込んだヘリが離脱すると、A-10が飛来して谷にナパームを投じた。火炎の中で大尉は焼かれたはずだ。彼女を見殺しにしたことを誰にも言えなくて、生き延びた者たちはみな心を病み、ある者は死に、ある者は麻薬に走った。
 誰にも言えないのが苦しくて、というあたりがズキンとくる。いちばん苦しいのは、案外こういうことなのだ。誰にも言えなくて、一生明かせなくて、墓場にまで持って行く出来事……を量産してしまう戦争というシチュエーションは、やっぱり人間の健康によろしくないと思う。為政者は、兵士ひとりひとりにそういう苦しい思い出を押しつけるということに責任を感じなければならない。でないと戦争を起こす資格がないといえないか。
 喧嘩もしたことがないようなエリート政治家が戦争を起こすという。チキン・ホーク=臆病者のタカ派がもっとも危険。憲法を改正して戦争できるようにしよう、という人がけっこういるみたいだが、戦争ってどんなことをする行為なのか、もっと勉強しておく必要があるよーな気がする。次の政権の人たちはだいじょうぶかな?
 それに、窮極の状況として面白いしね。