新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

「新自由主義」と書く人はもしかしてダメなんじゃないだろうか

 前回書いた本についてもうちょっと書こうかと。この本なんだけど。
 
 基本、僕は吉田司が好きだ。斎藤貴男はあまり好きじゃないけど、彼のこれまでの本は好きだった。『カルト資本主義』や『機会不平等』ですね。しかし、この本『石原慎太郎よ、退場せよ!』を読むと、この人たちはダメなんじゃないだろうかと思って頭を抱えたくなるのだ。
 本書は、東京都知事である石原慎太郎を批判し、彼を三度選んだ東京都民を批判し、石原都政の問題点を批判する…という形を取っている。しかし、吉田も斎藤も、彼らが繰り出すパンチは石原にも都民にも、どこにも当たってないんじゃないかと思うのだ。ちょっとAmazonの内容紹介を引用します。


内容(「BOOK」データベースより)
老害を撤き散らすだけなら退場せよ!無責任体質全開の新銀行東京問題、花道にしたいだけの東京オリンピック招致、差別発言とともに進む社会的弱者切り捨て政策、教育現場から教員までもが逃げ出す教育改革、そして身内に甘いだけの人事と処世術…。この十年、新自由主義ナショナリズムの波に乗り、東京に君臨してきた「小皇帝」石原慎太郎だが、「時代に求められた男」の賞味期限はもう切れている。

 もちろん僕も、五輪なんて来てもらいたくないし、都の役人がどうも上ばかり気にしてる風潮は嫌いだし、強権的で成り上がり的な都知事パフォーマンスも嫌いだ。でも、嫌いだ嫌いだって言うのは僕みたいな素人には許されても、プロの物書きならもっときちんとした言論による批判をしてもらわないといけないと思うのだ。
 プロに批判してもらわなきゃいけない石原都政の問題は、まず新銀行東京でしょ。この3月期決算も105億円の赤字で4年連続赤字という話だけど、http://mainichi.jp/select/biz/news/20090530ddm041020056000c.html吉田も斎藤もあまり突っ込んでないんだよね。二人とも文芸的な評論家なので金融の話とかあまり好きじゃないのかもしれないけど。すごく遠くから彼らの批判内容を見ると、「石原のこと虫が好かん」と言ってるように見えるんだ。あんまり論理的実証的じゃなくて。
 新銀行東京の問題点は、中小企業にほぼ無担保で融資するという、結果から見ればなんだサブプライムローンと同じじゃん、というビジネスモデルにある。しかもサブプライムローンと違って債権を証券化して商品にするわけじゃなくて、東京都が出資する資金で賄うわけ。自分で稼ぐことはしないし、赤字になったら都に助けてもらいますよという構造。これは賢いやくざとかに足下見られて借り倒されまくったの、わかるわ。ダメすぎる。そこをきちんと批判しないで、石原慎太郎の差別的な言辞だとかポピュリズムだとか子どもっぽいとこを批判しても石原本人には痛くもかゆくもない。そんなの本人には織り込み済みというか「それが俺だ!」的な開き直りをしているでしょ。それより、新銀行東京は大失敗で、石原には政策立案能力も遂行能力もない、政治的に無能力な人だと証明してやらないといかんのではないだろうか。
 吉田・斎藤は、石原慎太郎新自由主義を体現した人物の一人として批判しているようだ。けど、この新自由主義って、批判されてる人は誰も「私は新自由主義者なんで」とか言わないわけで、一方的なレッテル貼りでしかない。中谷巌とかも今は新自由主義批判をしてるけど、当時の自分は新自由主義なんて一言も言ってない気がする。結果から見て悪かったことを「新自由主義」とひとくくりにして批判しても、そんな批判、実効性はないんだよ。
 だから思うのだ。僕がどんなに吉田司のこと好きであっても、彼が「新自由主義はいかん」という蓆旗を立てて振ってる間は、応援しても無駄だと。
 石原都政のうち、新銀行東京ともう一つ挙げるとしたら五輪招致かな、この二つに共通する本質は、結局、バラマキ財政事業によって景気刺激をしますよ、ということだ。ところがバラマキ財政政策については「それが下々にまで浸透するのであれば」という条件付きになるだろうけど、吉田も斎藤もたぶん否定しないんだよね。結局政治的にはこの3人は一致してるんじゃないの、と言うと極論になっちゃうか。でも、吉田・斎藤が心情的な批判に終始するのは、政治的な批判をすると自分らのとこに批判が戻ってきてしまうからじゃないかと思う。
 僕は雨宮処凜も好きだけど、それは彼女の書くものが文芸的に面白いから好きなのであって、政治的に好きなわけでも、まして政治的に有効だから支持するわけでもない、ってことに今気がついた。心情的に好きなだけなのだった。しかし心情的ってやつはずっと底の方のレベルでは原動力になったりするけど、上の方で現実をきちんと変えてゆく力にはなかなかならないのだった。
 やっぱり赤木智弘かなあ。面白くて、かつ現実に対して力になるのは。