新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

「28週後」は泣ける感染ゾンビ映画?だったよ

 友人が「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」が良かったならこれも見ろ」とDVD貸してくれたんだよ。前作「28日後」はずっと以前に見た。監督はこの後「スラムドッグ$ミリオネア」を撮ったダニー・ボイル。「28週後」はスペイン人の若い監督が撮ってるけど、どうもボイルも第2班か何かで参加してるらしい。ボイル風味は健在。そしてこの物語は「ウイルス感染」という設定なので、新型インフルエンザで賑やかな今日見るととても今日的なんだよ。
 物語は、老人をまじえた男女数名が狭いダイニングでひしめきあって静かな食事をとろうとするシーンから始まる。「缶詰の残りは」とか「地下室でチョコレート見つけた」なんて台詞から、何か不穏な事態が進行中で、彼らは勝手のわからない家にいるらしいことが伺える。クローズアップで撮られる男女は夫婦らしい。子どもたちが海外旅行に出てて不在。だんだんと、彼らが何かから避難してこの家に立て籠もっていることがわかってくる。そこに外からドアを叩く音。皆が激しく緊張する…。このへんの丁寧な入り方にとても好感が持てる。画面は陰影が濃くざらっとした画でちょっと粒子が粗いけど奥深さを感じる。いい感じだ。ものすごい封印をはがしてドアを開けると、小さな少年がいた。手づかみでパスタを掻き込みながら、家族はみな死んだ、一人でここまで逃げてきた、とぽつぽつ明かす。子どもとはぐれた母親が、見ず知らずの少年に示す愛情が、視線と表情だけで感じ取れる。細やかな演出。うーん、見応えのある映画だ。そこに突然、窓の封印が破られ、外から何者かが手を突っ込んでくる。中の人を一人捕まえ、窓の外から腕にかみついてくる。窓のバリケードが次々破られ、ものすごい埃を立てながら何者かがどんどん侵入してくる。明かされなかった事態が、ついに描かれる。
 ここから、本作は前作の正式な続編で、レイジ・ウイルスに感染した者が激高して猛スピードで人を襲いまくる、という設定が明らかになる。目を血走らせ、口や鼻から鮮血を垂らしながら、見境なく人を襲い、殺そうとする感染者たち。彼らは死人じゃないので、正確に言うとゾンビじゃないけど、誰がどう見てもこれはゾンビ映画だわな。
 夫が闘い防いでいるうちに、妻は少年とともに別の部屋に逃れるが、逆に雪隠詰めになってしまい夫に助けを求める。だが夫は彼らを救い出せない。瞬間、激しい葛藤を見せながら、結局一人で窓から逃げ出す。あの部屋でははめ殺しの窓ガラスの向こうで妻が助けを求めている。次の瞬間、妻の姿は消える…。
 スピーディなのに非常に情緒が豊かな、しかも台詞ではなく視線やカットバックで感情をうまく表現している。この映画はゾンビ映画のバリエーションであって僕のようなダメ男が見るジャンルだけど、それ以上の叙情性を感じる。血まみれ映画なのに。
 夫が一人で脱出し、襲い来る感染者をエンジンつきボートで振り切ってから、画面は28週間後、となる。このところ使われてないっぽい荒れた空港に、1機の中型機が着陸する。壊滅し、米軍に占領されて復興が始まったロンドンに、海外在留者が戻ってきたのだ。子どももいる。「君はイギリスで一番若い人だよ」との台詞。「トゥモロー・ワールド」を連想する。子どもが生まれなくなる世界。「28週後」もイギリスが滅びるときを描いてて、こちらでも子どもはいなくなってることになる。子どもがいない世界、それは街が荒廃した描写や、無人のロンドン市街の映像よりも、ずっと世界の終わりを感じさせる。このへんの繊細さがこの映画は素晴らしい。イギリス映画なのだ。ハリウッドじゃない。ゾンビのメートル原器はロメロの作品群だけど、ロメロはこんなに繊細じゃない。アメリカ人らしいアバウトさがある。イギリス人は、「ショーン・オブ・ザ・デッド」もそうだったけど、ちまちまとしてるというか、よく言えば繊細・緻密、悪く言えばこまごまと小うるさい描写が多い。僕はそれが圧倒的に気に入った。崩壊したロンドンの描写が美しいのだ。日曜の早朝のように誰もいない市街(実際に撮影は休日の早朝に行われたらしい)、散乱したゴミ(アメリカのゾンビ映画ではこういう細かな演出は見かけない)、半年前に放棄されたピザハウスでは食べかけのピザが干からびている。帰国したのは例の夫婦の子どもで、金髪で白い肌の男の子(可愛い)は両目の瞳の色が違う。母からの遺伝だという。これが後に物語のキーになる。姉と少年は父親(妻を見捨てて逃げた男)と再会する。父はテムズ川?の中州を隔離して作られた復興区域の地域統括官になっている。どこでも入れるカードキーを持っている。父から母の最期を聞いた(見捨てて逃げた、という点はぼかして)姉弟は、閉鎖された復興区域を抜け出して市内の実家に赴く。廃墟のロンドン、せつなく美しい。路上をゴミが舞い、死体が朽ちており、クルマがクラッシュしている。それらがアメリカのゾンビ映画風ではなく、しっとりとした空気感とともに叙情的に描かれる。姉弟が拾ったスクーターで町中や墓地を駆け抜けるシーンで、僕は不覚にも涙を流してしまった。この終末感はイイ!
 ゾンビの教祖ロメロは「ランド・オブ・ザ・デッド」で終末の後の世界を描こうとしたが、なんだかぐっと失敗な感じだった。大予算できちんとセットを組んだのはいいけど、芝居の書き割りみたいな世界になってしまった。最近「デイ・オブ・ザ・デッド死霊のえじき)」を見直して気づいたんだけど、これは冒頭にゾンビに占拠されたフロリダの街が出てくるので「ああ世界が終わってる」と思わされてしまうが、実は物語本編はシェルターの中でしか進まない、密室劇なのだ。つまり「ナイト・」で野中の一軒家に立て籠もり、「ドーン・」でショッピングモールに立て籠もり、「デイ・」で地下シェルターと、ロメロはいずれも立て籠もり系しか作ってないのだ。「ランド・」は引きこもるのをやめようとしたら散漫になって失敗した。先日の「ダイアリー・」は見事復活、それはなぜかというとキャンピングカーに立て籠もる、という構成にしたからではないか。
「28日後」「28週後」はロメロの確立したゾンビをうまく、うま〜くアレンジして、大事なものはきちんと残し、独創性を出したい部分はしっかり乗り越えて作られた立派な作品だ。とくに今回は「ウイルス」という設定が効果的に使われており、前作より確実に良くなってる!と思った。
 実家に戻った姉弟は、そこでぼろぼろになりながら生きている母親を発見する。夫に見捨てられた妻。しかも彼女は噛まれているのに発症していない。遺伝的に特異な(両目の色が違うとか)彼女には、このウイルスへの免疫があったのだ。特殊部隊とヘリに連れ戻された彼らは、姉弟は検疫で隔離、母は全身を乱暴に洗浄されてストレッチャーに拘束され、血液検査を受ける。ここらへんの道具立ても、見る者にストレスを感じさせてなかなか良い。作り方が緻密だ、と思うゆえんだ。この母親が復興区域に持ち込んでしまったウイルスが、「コードレッド(緊急事態の最終段階)」を招くことになる。
 あー、うまくまとめられない。GWにビール飲み過ぎて、一昨日も飲み過ぎて頭が悪くなってしまったんだよ。
 夫は見捨てたことを妻に詫びようと、こっそり隔離室を訪れる。謝罪と許し。キス。しかし夫に免疫はない。妻は発症してないが保菌者だ。夫はキスで感染する。みるみる目が血走り、正常さを失い、口から血をしたたらせる夫。この「感染」の描写はゾンビ映画では死んだ肉親がゾンビとなって蘇る衝撃的な描写に相当するもので、ある意味クライマックスの一つなのだが、なぜかこの作品ではそんなインパクトがない。死なないからだろうか。ここだけ、この作品はゾンビに負けてると思う。意思の疎通は断たれてしまってもやはり「生きている」ということは大きいのだろうか。僕たちの感じ方の中で。
 激高した夫は妻を殺し(ストレッチャーに拘束されたまま殺される妻がかわいそうすぎる)、警備員を殺して外に出たことが判明すると、米軍は非常事態を宣言する。住民を一カ所にまとめて隔離し、道路は狙撃隊や警備兵ばかりに。しかし感染する病気なのに過密状態の密室に大勢を閉じこめるってのは…って思ってたら、案の定、そこに感染した父親が現れてアウトブレイクが始まってしまう。ここからのパニック描写も素晴らしい。狙撃兵が「もう全員射殺!感染者と一般人を区別するな」と命令されておののきながら一般人を射殺するシーンや、スコープに子どもを捉えてしまって引き金が引けなくなるシーンは、ごく短いカットの集積ながら手に取るように感情の流れが伝わってくる。
 ここから姉弟の脱出行と、なぜか殺されずにさ迷っている感染した父親の追いかけっこが始まる。さらに米軍が感染者と感染したおそれのある一般人を完全に殺し尽くす作戦を始めたので、ナパームで街が焼かれ、路上を歩く者は一人残らず射殺され焼かれるということになる。ここからの展開は悲しいのでなかなか書く気になれない。というのも、母親があっさり殺されただけではなく、姉弟を助ける大人たちが次々と非業の死を遂げていくからだ。脱走した狙撃兵が彼らを先導する。ウイルスの研究をしている女の軍医少佐が子どもたちを守る。感染者が走って追ってくるので全員走って逃げる。不自然な設定だけど、切迫感とスピード感がたっぷりの良い展開になっている。だけど、彼らも死ぬ。あっさり死ぬ。せっかく感情移入できた登場人物ができたのにこんなに次々死んではつらい。ここは泣けるというよりがっくり来るところ。
 軍医少佐は「子どもたちの母親は免疫を持っていた。彼らの免疫機構を研究すればワクチンが作れるかもしれない。この子どもたちは世界を救うかもしれない」と、彼らを守ることを決意する。なかなか理詰めで良い設定。そのうえ感染した母親(出番が短いけど)の表情からは、見捨てられた者の悲しみ、感染したのに発症しないことの悲しみ(夫は発症して激高しているのにこっちは発症「できない」ので冷静なまま殺されるわけ)までが読み取れる。この断絶感はなかなか良い。そして「感染したけど発症しない」ことがエンディングへとつながっていく。ネタバレしてごめんだけど、父親に襲われて感染してしまった弟は、免疫で発症しない。軍医少佐の「この子たちが世界を救うかもしれない」というメッセージと、狙撃兵の「戻れば米軍に殺される。ドーバーを越えてフランスへ逃げろ」という伝言がまぜまぜになって、ヘリは様々な事情を忖度せずに子どもたちをフランスへと越境させる。……そして28日後、エッフェル塔をバックに感染者たちが狂って走り回る、というシーンで映画は終わる。救いのない終わり方だけど、悪くない。カルネアデスの舟板とか、肉親間の嘘とか、軍隊組織の硬直した様とか、自己犠牲とか、兵士の人間的なふるまいとか、なかなかいろんな豊かな感情に彩られた作品だったよ。そうだね、父親の視点、母親の視点、子どもの視点、兵士の視点など、主観ショットじゃないのにそれぞれの人物の感情が豊かに伝わってくるつくりだった。この監督はきっとこれからもいい映画を撮れると思う。そして無人のロンドンの風景。市内のシーンは休日の早朝とかに撮ったとメイキングに出てきたけど、無人のロンドン空撮はどうやったんだろうね。CGで動くものを消したのかな。「つねならぬもの、めったに見ることができないものを見せてくれるのが良い映画だ」と僕は勝手に定義しているのだけど、この映画はみごとにそれを見せてくれました。ありがとう。