新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

飛行機でもホラー映画が見れたぞな

 昨日の続き、シンガポール航空映画祭なんだよ。ていうか高い金出して海外旅行に出かけて、帰ってきていっとう最初にやるのが機内で見た映画の感想文書きかよ、と思うと自分がバカに思えるんだよ。まあいいよ。僕はリアルな体験なんかより映画が好きなオタクなんだよ。じゃ、今夜も基本、ネタバレ御免ですんですいません。


■「チェンジリング
 ふつう、飛行機の中ではヤバい映画はやらない。とくに飛行機事故のシーンがある映画はやらないことになっている。しかし、最近は個人用の画面がついて作品を選べるようになったので、飛行機事故シーンのある「ファイトクラブ」なんかもラインナップされるようになった(番組表にAIR=Aircraft Situationsという注意表示がついているので判別できる)。でもさすがに「生きてこそ」は見せないと思うが…。とはいえ、なかなかラインナップされないジャンルに「ホラー映画」がある。前に乗ったときに「ランド・オブ・ザ・デッド」があったような気がするが、記憶にあるのはそれだけだ。なので、今回もホラー映画なんて見られないだろうと思っていた。せいぜい「レボリューショナリー・ロード」止まりだよなと思っていた。なので、帰途第1発目としてこの映画を見たときは「しまった! これはホラーだった。ていうかすごく怖いし!」と慌てたのだ。
 アンジェリーナ・ジョリーのシングルマザーが一所懸命一人息子を育てている。もうかなり大きいのに抱っこしてベッドに連れてったりして、溺愛ぶりが微笑ましい。ところがある日、息子と過ごすはずだった日に乞われて休日出勤し、帰宅したら息子が消えていた。半狂乱。警察の尋ね人捜査で何カ月もしてやっと息子が見つかった。遠くから汽車で帰ってきた息子は、全然違う少年だった…。これ、1928年が舞台になってる、いわゆる時代劇です。全然違う人物を取り違えるなんて現代ではちょっとあり得ないでしょうからね。高解像度な写真もあるし、なんだったらDNA鑑定もあるし。しかし前世紀初頭なら、荒れ荒れの写真くらいしかないし、通信手段もプアなのでこんなことも可能なのか…と思ってたら、話はどんどん怖い方角へ転がり始めます。この作品が時代劇として作られたのは、取り替え子というプロットを成立させるためではなく、その当時、精神病院が権力による弾圧施設として用いられていたこと=権力が人民を弾圧するという構図をあからさまに描くためにわざわざ時代劇という方法をとっているんだとわかる。この映画でのLAPDのやりようは粗忽でお粗末だけど、権力や世論が個人を圧殺するのは時代を問わない。また、正しいとされる人も知らずに個人を圧殺することがある。この映画では、息子を失った母に手をさしのべる牧師(ニック・ノルティかと思ったけどジョン・マルコビッチだった)が出てくるけど、彼もそうだ。よかれと思って「子どものことはもう忘れて新たな人生を歩き始めては」なんて言うけど、それこそ母にとってはあり得ないことなんだよね。北朝鮮に拉致された横田めぐみさんのご両親を間近で見たことがあるけど、とくに横田早紀江さんが年老いた小さな身体で懸命に活動し続けるのは、攫われた娘を取り返したいという本能的なものに突き動かされているからだ。早紀江さんを見れば一目でわかる。彼女は平凡な母親だ。だが平凡な母親というのはおそろしく強いモノを持っているのだ。娘を取り返すためには戦争も辞さない、というかある立場から彼女の活動を見れば東アジアの政治状況にすさまじい緊張をもたらす害悪にほかならない、まさしく戦争の引き金みたいなもんだ。それもこれも、母親から娘を奪ったりしたせいだ。ある意味、殺されるより大変だ。アンジェリーナ・ジョリーはそういう立場に置かれた母親の強さを、ぼろぼろになりながら熱演している。彼女が追い込まれた状況のひどさも、彼女が最後まで静かな強さを失わなかった理由も、彼女の演技に説得力があるからビシッと強く実感できる。そして映画はもっととんでもない方角へ行きまして、連続児童誘拐殺人事件の犯人がつかまるのです。この犯行現場の描写がまたすごい。小道具がストイックなぶん「羊たちの沈黙」よりも怖い。彼女の息子もこいつの毒牙にかかった、という証言が出てくる。しかし話を二転三転させる被告に翻弄される母。結局、真相は不明で、被告が処刑された後もずーっと母は息子捜しを続ける。痛々しい。この展開はもう恐怖の連続であって、ジェットコースターよりも揺さぶりがきつい。座席から放り出されるタービュランスに2時間曝されているようだ。「ミリオンダラー・ベイビー」もものすごい展開に驚いたけど、本作はそれにも勝る。こんなすごいスリラーだとは思わなかったよ。ていうかホラーなんだよ。2時間20分に及ぶ長時間、アンジェリーナ・ジョリーが心の底から笑みを浮かべるのは1シーンだけ。最後の最後に、殺人鬼から逃げ延びていた子どもの一人が発見されて、彼女の息子の消息を供述する。結局息子さんの生死は不明なんだけど、もしかしてやっぱり殺人鬼に殺されてしまってるのかもしれないのだけど、彼女は「私は探すことをやめない」と決心して笑みを浮かべるのだ。すごいよ。ある意味狂気だよ。でもイーストウッド監督はこの母の狂気を力強く肯定する。彼女から狂気を奪うことは、結局、彼女を精神病院に強制収容したLAPDと同じ罪を犯すことでしかない。彼女を自由にさせることが、ただただ大切なのだ。それが人間の道なのだ、と過激な自由主義者であるイーストウッドは言ってるに違いないと思うんだよ。そこにはもはやマルコビッチ牧師が介入する余地もない。「ミリオンダラー・ベイビー」ではかなり納得いかない終わり方だったけど、本作の終わり方は僕は好きだ。そしてそのどちらにも、イーストウッドは一貫性を持たせているところもすごいと思う。この母を演じきったアンジーも見直したんだよ。あまり好きな俳優ではなかったのだけど、やっぱり僕の好きなジョン・ボイトの娘だけはあるんだよ。二人は仲良くないらしいけど。いやまあ、すごい作品でした。


■「モンスターズ・インク
 口直しに古いビクサー作品を見たんだよ。これはビクサー4作目かな? 最近の作品は派手すぎて好きになれないけど、この頃はまだCGも地味で画面もシックだぬー。物語は町山智浩さんが指摘してたように、「仕事に淫していたビクサー社員たちがついに子どもを持つようになった。子どもという他者との衝撃的な出会いと受容、そして自らの子ども時代への決別の物語」だわな。「グラン・トリノ」もそうだったけど、こういう通過儀礼の話って物語として座りが良いよね。時間も95分と長くなくて良いし。


■「フロスト/ニクソン
 これってアカデミー作品賞のノミニーだったんだね。知らなかった。すごい小品だと思うけど。史実に基づく戯曲を映画化したんだってね。しかし肝心なところは映画のオリジナル創作だとも(4回目のインタビューを前にした夜中にニクソンからフロストに電話がかかってくるが、これが創作らしい)。こういうことはtrue storyをうたう作品にはありがちで、「チェンジリング」も最後に出てくる男の子が創作なんだとか聞いたような気がする。
 物語は単純で、山師のテレビ屋であるフロストが引退したニクソンをインタビューして一発当てようとするけど、四面楚歌になって追い詰められ、ついにニクソンを倒す(謝罪の言葉を引き出す)とゆう胸のすく話。だいたいのとこは史実らしいけど、どうなのかなあ。インタビューのくだりも巧妙に映画用にアレンジされてる気がする。フロストがどうやって大逆転でニクソンをやり込めたか、そこにはあまり面白みを感じなかった。なんか一夜漬けを4晩やったらなんとかなりました、みたいにも見えるじゃん? それよりも、叩き上げの政治屋であるニクソンの凄みがよかった。彼は育ちも見栄えも良くないし、ポピュリズムを体現した人だったんですね。だから下賤な生まれ育ちであるフロストにもニクソンは一定の理解と同情を見せる。そしてフロストにやり込められたというより、ニクソンは己の政治信条に自分で足をすくわれた感じがする。だから、彼の失敗はよりいっそう決定的だったんじゃないかな。彼には禊ぎは意味をなさない。彼が政治の舞台に戻れば必ず同じ事をやる、と有権者にばれちゃったんじゃないかと。
 僕は物心ついたときはフォード政権で、ウォーターゲート騒ぎはあまり覚えてないんだけど、その後もニクソンは目白の闇将軍じゃないけど共和党人脈に隠然たる勢力を及ぼそうと汲汲としてたようですね。それをリベラルなアメリカ人はからかって、「ニクソン社会保障番号はこれこれ」とか本とかに載せて風刺していたのを覚えています。リチャード・ニクソン、なかなかすごい政治家だったんだと思いますよ。G.W.ブッシュも回顧録を執筆してるんでしょうが、買い手がつきますかどうか。


■「007慰めの報酬
 実は僕は映画が好きとか言ってますが、「寅さん」「スターウォーズ」「007」を見たことがありません。ですので本作は僕の初めての007体験です。といっても実はショーン・コネリーの古いのをテレビの洋画劇場で見たような気もするし、スターウォーズも第1作はノベライズを買って読んだしな。
 とか、先入観や偏見があったんですが、見てみたら単純に驚きました、007。すごい映画でした。というか映画としてすごい。映画のために作られた映画ですから、「true storyだからすごい」なんて余計な付加価値はないわけです。単純に、映画としてすごい。冒頭いきなりカーチェイスアストンマーチンがずたぼろになる。もったいない。どうもここは前作「カシノ・ロワイヤル」からロスタイムなしで続いてるらしいですね。そういう作りもすごいなあ。ていうか、「バットマン・リターンズ」みたいに007も過去の作品をなかったことにしたんですかね。ボンドが「この仕事についてまだ日が浅い」とか言われてるし。おばさんの上司Mはいいですね。すごく現代的だ。ていうか、僕がこの映画に感心したのは、万能のスパイが悪を退治するという、とことん今日的ではないテーマをいかに今日的に見せるかという離れ業に果敢にトライしたスタッフたちの四苦八苦でした。悪党は世界征服を企む組織じゃなくて、第三世界の国の水道利権を独占しようとする企業体。いや実際にあるらしいですけどね、金融資本と独占的インフラ企業がくっついて第三世界の国々のインフラで悪どい儲けをするってことは。派手な活躍をする色男スパイは、関係した女性が次々殺されるので淋しく孤立している。漫画チックな007像は否定されまくっている。おばさん上司も中間管理職の辛さを見せるし、イギリスといういまや微妙な立ち位置の大国も微妙な描かれ方をしている。そして何より、ボンドガールに色気がない。ていうか今日的なアクティブな色気になってしまっている。おかしいな、たしか007って「オースティン・パワーズ」のようなムンムンの色気美女が売り物だったのでは。しかし画面に出てくるのは、小麦色の中性的な第三世界女性と、女らしいけどイケてない教師のような英国政府機関女性。政府機関女性はボンドと寝ます。なんか前時代なご都合主義やね、と思ってたら終盤で殺されちゃって、現代の物語の殺伐さを実感させてくれます。第三世界女性は己の復讐劇を遂げるために虎口に潜入するのですが、このシーンは颯爽としてワイルドなセクシーさもあって良いです。現代的な女性のかっこよさだなと思います。ところで悪役の人、SMAPの目が危ない人にそっくりな目つきでしたね。その手下の禿ヅラの人は目つきがプレーンで草なぎ君に似てたなー。関係ないか。目つきの危ない悪役の人は「ミュンヘン」にも出てたフランス人俳優ですね。悪の組織が企業だというのは今日的でとても良いと思います。何もかも現代的にリニューアルしようとして、どうしても007という荒唐無稽な存在だけはリニューアルできない、そのジレンマがこの作品を興味深いものにしています。何より、コミックの原作もないし実話でもない、伝統芸能のように因循姑息な007というものをなんとか現代に蘇らそうとした関係者の熱意が素晴らしいです。ヤマカシっぽいアクション(フリーランニングっていうんですか?)までやってしまうボンド、気に入りました。前作も見てみようっと。