新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

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拷問ホラー「ホステル」は語るべき問題作なんだよ

 見たばっかりの「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」の話を会社でしたらば、「もう見たんですか。僕は今夜見るんですよ」という同僚がいた。おお、こんなところにホラーファンが。嬉しいね。その彼との雑談で、2000年代の新しめホラー作品について教えてもらった。「『ホステル』と『キューブ』はいいと思いますよ」とのこと、急遽この2つを課題作品として見ることにしたんだよ。帰宅前にTSUTAYAに行ったんだよ。
 
 とりあえず、まずは「ホステル」からだ。みなさんはもう見てるんだろうけど、僕は2000年代の映画はほとんど見てないから新鮮なんだよ。僕が借りたのはこんな豪華バージョンじゃないけど、DVD新品がなかなかないのでこれを貼っておきます。映画 ホステル - allcinema

 以下、【ネタバレ御免】でお送りします。
■東欧の奥地にパラダイスがある――秀逸な設定
 アムステルダムのホステルに泊まり、飾り窓の女や大麻を楽しむバックパッカーたち。2人のアメリカ人と、ちょっと素っ頓狂なアイスランド人(辺境から来て浮かれてる様子がナイス!)が、「スロバキアのプラティスラヴァに行けば、いい女を抱き放題だよ」という噂を信じて東欧に向かう。東欧美人たちと相部屋になったホステル、スパで裸の付き合い、アムスと似た先進的で明るいディスコで気分良く酩酊し、ついに童貞を失う純情なアメリカ人青年。しかし翌朝、アイスランド人が黙って消えていた…。
 この前半がなかなか良い。人によっては「早く本題に入れよ」とイライラするかもしれないけど、じっくりと世界を構築しておき、伏線を張っておくことは重要なんだよ。僕も昔はいらついたけど、この歳になると前戯の大切さとかもわかるっていうもんなんだよ。
 アイスランド人の失踪によって、さっきまで若々しさに溢れ、魅力的だった東欧の田舎町が、とたんに不気味なたたずまいに変貌する。もともと、町外れの駅で鉄道を降り、タクシーで市街に向かうまでが不気味だったことを思い出す。人影のない荒れた大地に、巨大な煙突が屹立している。「この町はこの国のプラスティックのほとんどを生産してるんだ」とタクシー・ドライバーが誇らしげにしゃべっていた。
 この一言から、社会主義の名残や国全体の後進性がうかがえる。一つの町の工場がある素材の全シェアを持ってるってのは、普通に考えると不自然だよね。社会主義政策の分業体制がそうさせたんだろう。自由競争ならそうはならない。それを不自然とも思わない地元住民は、後進的で、アメリカ人の主人公たちとは違う感覚の持ち主=異邦人たちであることをゆっくりと印象づける。異邦人、この作品を楽しむためのポイントになると思う。

■一夜明け、変貌する人々
 アイスランド人を探すつもりで2人のアメリカ人はぶらぶらと町を彷徨う。だが彼らは無力だ。ホステルにメモを残し、携帯に伝言を入れるのが関の山。異国での為す術のなさ、無力感がつのる。ホステルのロビーには、同じように友達が失踪した日本人女子がいる。言葉がまったくできない彼女の不安感も良い感じ(この作品における僕らの代表なのだ)。
 アイスランド人と同じ上着の人物を町で見かけた。あれは確かにやつの上着なのに…。昨夜の東欧美人たちとディスコに繰り出す。だが不安感のせいで楽しめない。東欧美人たちが聞き取れない異国の言葉で会話するのもとても不安だ。「英語でしゃべってくれよ」と思わず懇願する。美人たちの表情に、微妙な邪悪さが見え隠れする。純情な方のアメリカ人は悪酔いしたのでホステルに戻る。もう一人のちょっと世慣れたアメリカ人も悪酔いしているのだが、店に残る。だがトイレに行こうとして店のバックヤードに閉じこめられてしまい、そのまま寝込んでしまう。
 朝起きてホステルに戻ると、純情アメリカ人も消えている。朝チェックアウトした、と言われ、お前もそうだと思ったから荷物を出しといたよ、とカウンターの裏からバックパックを出してくる。そんなわきゃない、もう1泊するから、と部屋に戻ると、ゆうべとは違う東欧美人たちが相部屋で、だけど同じように「スパに行かない?」と誘ってくる。その慣れた様子がわざとらしい。気持ち悪さが高まる。もうこのホステルは信じられない。
 不安に震えながら彷徨う町は、一昨日着いたときとはまったく違う場所に見える。ストリートチルドレンに携帯電話を盗まれた。いよいよ無力になる。街角にたたずむ男たちは、黒っぽい服装が多くて表情も荒んでいる。少なくともこいつらは味方ではない…。暗い建物の奥に、昼間から酒を出す店がある。社会主義時代の赤い星なんかが飾ってあって、屈折した東欧の保守派というか頑固で重苦しい人たちが集まる店のようだ。改革開放的な明るさはみじんもない店だ。ここで、ゆうべディスコではぐれた東欧美人たちと再び出会う。
 このシーケンスが僕は一番好きだ。ホステルのベッドでめくるめく思いをさせてくれた、柔らかい身体の彼女たちが、このシーンではまったく違って見える。昼間から酒場の荒れたテーブルでくだを巻き、表情にも荒々しいものが見え隠れする。「友達はどこだ?」と食い下がるアメリカ人に向ける眼差しは、冷たい諦観のようなものが混じっている。非人間的なものと、憐れみの混淆。
 ここまでゆっくりと張ってきた伏線が生きる一瞬です。この作品、前半のエロいシーンが長くて退屈、という評価を見ましたが、僕はそう思いません。大事なとこです。ぴちぴちとしたおねえちゃんたちの肉体が輝くスパのシーン、開放的なディスコのシーン、若者の欲望がそのまま画になったような素敵なベッドシーン、どれもが、それに続く暗転との落差を際だたせている。とくにベッドシーン、これ重要です。この作品の世界には、性的な快楽の感覚があるのです。

■ある感覚の存在しない世界――ロメロ作品と「ホステル」の違い
 ここでロメロの作品について触れたいのです。「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」もそうでしたが、ロメロの作品にはセックスは出てきません。町山智浩も指摘してましたが、世界が滅びようとしているのに、ロメロの映画ではレイプも、純情なカップルが結ばれるということも起きません。ロメロは性的描写を絶対しない、性的な感覚が欠如した世界なのです。
 性的なものがない世界ですから、ロメロのゾンビは性器を囓るなんてこともしません。腕とか首筋とか、性的でない部位ばかり囓りますね。それから、指の端だとか痛みの大きい部位も囓りません。見た目が派手なところ…内臓が引き出されるとかそういう部位が食われたりしますが、これは痛みよりも見た目重視ですね。ロメロは痛みなど感覚重視ではない、ということです。ロメロが追求しているのは、痛みなどの個人的な感覚ではなくて、共同体が崩壊する不安感や、同じ人間だった相手が変貌する断絶感とかでしょう。
「ホステル」の主題は“痛み”とかの感覚ですから、痛みを際だたせるためにはその反対の“快楽”をしっかり描いておく。すると対比が生きてきます。
 それともう一つ、セックスは“つながる”行為です。「情交」というくらいですからね。東欧美人とセックスしたアメリカ人青年たちは、彼女らと肉体だけでなく精神でもつながったと思っていたはずです。とくに男から見るとセックスした相手ってそういうものですよね。自分のものになった、とまでは言わなくとも。ところが、酒場で出会った東欧美人たちは異なる言語で話し、自分には通じない目配せとかしてるし、まったく“前につながってた”感がない。この断絶。これは怖いです。
 青年は志願して、失踪した友人たちがいる場所へ行くために、東欧美人と謎の男の導きで車に乗ります。この道行きが怖い。東欧美人とは前にキャンデーだかガムだかを口移しで食べあった仲なのに、いまガムを勧められても全然その気が起きません。むしろ怖いもの、異物のように思える。

■拷問シーン――これは問題だ。失敗作と言ってもいい
 廃工場に着くと、それこそうさんくさい男たちがうろうろして、不穏な雰囲気です。裏社会、それも東欧の。日本人もいる。不気味な地下水脈が東欧だけでなく日本にまで広がっていることが示唆される。
 ここからこの映画の売りである拷問シーンが始まるのですが……はっきり言ってこれがうまくいってない。
 拷問とは、単に痛みを与えるだけの行為ではありません。痛みを与えることによって、被験者?の大事なものを壊していくこと。これが拷問の本質です。本来の拷問とは、そうやって情報を取ったり、被験者を元の組織から裏切らせたりするという目的があります。
 しかし「ホステル」の拷問には、この目的がありません。ネタを割ってしまうと、世界中のヘンタイ富裕層からお金を取って、人間を切り刻むという体験をさせる「スナッフ」風俗だった、という。これには正直、興ざめしました。繰り返しますが拷問とは、肉体の破壊そのものが目的ではないのです。拷問を通して、もっと大事なものを壊すこと。被験者の大事なものを奪い、屈服させることが目的なのです。それが、この映画は、わかってない。残念だ。
 でも肉体破壊描写はしっかりしてるので、「許せない!」って水準じゃないですね。日本人女性の拷問痕がこれまた興ざめでしたが…お岩さんへのオマージュなのかしらんけど、肉体破壊の考証がここだけ杜撰です。でも、暗く湿った拷問室、ブッチャーを思わせる拷問者のユニフォーム、ステンレスの道具の冷たさ…など、おおむねいい雰囲気です。それだけに、もうちょっと拷問については繊細に描いてほしかったなあ。戦術は正しいのに戦略がないために失敗してる作戦、という気がします。

■おおむね満足。でも課題は山積
 この後、アメリカ人青年は傷を負いながらも拷問室から脱出し、行きがけの駄賃に日本人女性も救出し、スリリングな脱出行を展開します。なかなか良い演出です。これまで溜まった鬱憤を晴らすシーン…東欧美人やアムスで噂を吹き込んでくれた男などを自動車で轢き倒すとか。拷問者を見つけて不意打ちで復讐を遂げるとか。カタルシスが用意されています。…これもちょっと不満なんだけどね。こういう映画は、ご都合主義的にカタルシスを設けるんじゃなくて、完全に救済されずに終わったほうが余韻が残るんだけど。デビッド・リンチの作品みたいに、謎は謎として解決を明示せずにおくといいんですよ。でもまあ、このカタルシスのおかげで興行的には成功したんだろうけどね。
 拷問映画はあんまり作られませんよね。だから今回「ホステル」を知ることができたのはうれしかったです。そして、この映画作った人たちはけっこうわかっている、作り方が上手なのに、拷問の本質についてはあえて無視したのか置き去りにしたものが多い。続編があるらしいから、どう展開させていくのか、また見て確かめようと思います。
 拷問については、すごく良い文献があります。これです。
 
 この山本英夫という漫画家は、心理描写をすごく大切にしています。痛みとは、肉体のものではなく、心理・神経・頭脳の問題なのだ、ということがずーっと展開される作品です。ある意味、痛みと恐怖は同じものなのかもしれない。「ホステル」はタランティーノがプロデュースしてるそうですが、タランティーノ、『殺し屋1』を読んでないってことはないよね。精進してくれ、と思います。でもこの映画、2005年の作品でしたね。今頃何言ってるんでしょうね僕は。でも面白かったですよ。語るべきことがたくさんあって、いい作品でした。次は「キューブ」を見なければ。