新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

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ロメロ復活!「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」が大傑作な理由

 アマゾンからDVDが届いた。
 
 さっそく見てみたら、なんともこれが低予算丸出しの素朴な映画で、おそろしいくらい金がかかっていない。見ていると登場人物少な!って驚くよ。
 主人公たちはビッツバーグ大学(ゾンビの本場はピッツバーグ!)の学生で、卒業制作のホラー映画をロケ撮影してたらゾンビ騒動に遭遇、監督志望の学生がその間の経過をずーっとカメラで撮り続ける、ということになっている。ゾンビ×クローバー・フィールドって感じ? しかしクローバー・フィールドと違って金はかかってないからね。あっと驚くシーンはあるけれど、クローバ…と違って特撮の迫力で驚かすんじゃないとこがお立ち会い!です。
 男女の学生たち6〜7人に1人のおっさん教授を足した一行は、キャンピングカーで田舎町をひた走る。最初はラジオのニュースの真偽を確かめるために、やがて惨禍の中心に迫るために、最後はどこかに脱出するために。しかしほとんどが夜のシーンなので、周りは真っ暗です。画面、安っぽいですよ。この安っぽさは…これに似てる!
 
 ホラーの古典、「悪魔のいけにえ」。この設定そっくり。バカな若い男女がバンに乗って田舎を彷徨って災難に遭う話…まったく同じですね。「ダイアリー・」の男女たちは「いけにえ」の男女ほどバカじゃなくて真面目にがんばる。ロメロにはトビー・フーパーほどの悪意がないみたい。「いけにえ」が狂気の映画だとすると、「ダイアリー・」は大災厄への恐怖を真摯に描いた映画かな? しかし似ている。大御所の最新作は、古い古い名作のふところに回帰していった、って感じ。暗闇からゾンビが現れる。この緊張感はすごい。子どものときに深夜テレビで見た「ゾンビ」(ドーン・オブ・ザ・デッド)の怖さが蘇ったよ。
 僕はゾンビが大好きだ。ときどき「今東京にゾンビが発生したらどうしようかな?」なんてことを考えて暇つぶししたりする。当然ジョージ・A・ロメロのゾンビ映画はみな見ている。ロメロのことは深く尊敬してるし、派生作品もなるべく見るようにしている。といっても最近のリメイクものは多すぎて全部フォローできてないけど。この一つ前のロメロのメジャー作品「ランド・オブ・ザ・デッド」はつまらなかったんだよねー。ゾンビ、戦争、富裕層と貧民、ゾンビの反逆、とてんこ盛りの内容だったのに。スピード感はあるけれど軽々しく、スター(デニス・ホッパーとか)は出ているけど効果的でなく、セットに金はかかってるけど説得力はなく…と物足らないとこばかりが目に付いた。設定のアラや矛盾も目立った。(細かい矛盾を血眼になって探すなよ、と自分でも思うけど、矛盾が気になると作品の世界に没入できなくなってしまうので困るんだよね)
 
 この「ランド・オブ・ザ・デッド」は失敗作だと世間も認定したらしく、興行的にも大失敗だったという。やはりそうか。しかし、今回の安っぽい「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」がものすごく面白かったので、失敗はロメロのせいじゃないんじゃないか、と思ったんだよ。
「ランド・」はハリウッドの大作だったので予算がいっぱいついた。予算がつくってことは良いことばかりじゃなくて、出資者が映画に口出ししてしまうという弊害がある。どうもそのせいで「ランド・」は散漫な作りになってしまったんじゃなかろうか。ロメロは叩き上げの映画人、少ない予算を上手に使って、きっちりとした映画を作れる人だ。ところがそこに大予算(といってもロメロにとっては、だと思うが)とともに口出す出資者がついてきたために、脚本を決定する権利やファイナルカット権を失ったんだろうね。
 今日見た「ダイアリー・」は、とても安っぽい。人も少ない。だけど、そのおかげで隅から隅までロメロがコントロールしているのがよくわかる。タイトで静かできっちりしている。良い映画だ。手持ちカメラの映像はあんまり面白くないが(「クローバー…」や懐かしの「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」と違って全然揺れない)、映画自体がいろいろと観客にものを考えさせる。内省させるのだ。
 たとえば手持ちカメラでの撮影ということで、フレームのこっち側には常に登場人物の誰かがいてカメラを担いでることになっている。なので「撮ってないで助けてよ!」とか言われる。このメタな感覚が、僕たち観客をけっこう没入させる。そして、こういう破滅的な状況でカメラにこだわったり映像を残そうとしたりする妄執とはなんぞや、なんてことを考えさせる。こういう状況…って、映画の中のオハナシにすぎないのに、それについて考えながら見たりしちゃうんですよね。カメラと被写体の間の人間関係とか、考えさせられる。
 そもそもゾンビというのは、人間の姿はそのままで化け物に変わってしまった存在。ゾンビ映画では知り合いが死んでゾンビに変わる瞬間が繰り返し描かれるけど、そこで起きる決定的な転換の衝撃がゾンビ映画の大切な要素なのだから。また、カメラで相手を撮るということにも、決定的で一方的な存在の転換がある。カメラのフレーム越しに見ると相手はとたんに不機嫌になったりするでしょ。あれ。カメラで撮るという行為のエゴとか、カメラによって分かたれる自己と他者、死によってゾンビ化によって分かたれる生者と死者とはなんぞや、なんて考えながら見てしまった。観客を内省させる、いい映画です。
 そして、冗長なところや無駄がないのがまた良い。まあ、軍隊がたった数人しか出てこないとか、ご都合主義なところはあるんですが、まあ許せる範囲かな。突然現れるゾンビがカメラマンに噛みつかずに、必ずカメラに撮られている人に噛みつく、ってのは笑うところなんですかね。もう一つ、アラと言えば、手持ちカメラがつねに回っているという設定が破綻してるシーケンスがあったな。銃撃を正面からとらえているショットがあった。探してみてください、論理的におかしい構図なので。
 でも全体に構図は落ち着いてるし(ロメロは筋金入りの映画人なので、手持ちカメラの主観ショットという設定でもついつい映画的な構図を撮ってしまう、と指摘してた人がいたね)、登場人物たちのやりとりは戯曲みたいでこざっぱりしていてオシャレ。もちろん凄惨な描写(切り株シーン、って最近は言うんですかね)はアイデアフルだし、かっこいい黒人が登場するし(ロメロ作品のアイコンですね)、主演のおねえちゃんは二人とも可愛いし、ゾンビ映画の基本はきっちり押さえられている。さすがゾンビを確立したご本人だけある。「ランド・」のときは、ゾンビ映画の基本がなんだかちょっとおろそかだったような気がしたんだよね。だからなおさら、「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」が要所要所をきちんと押さえていたのはうれしかった。
 まあ他にも、ロメロは主張したいことがいっぱいある人なので、メディア批判とか消費文明批判とかが込められているようですが、全部に付き合わなくてもいいかって感じ。町山智浩さんもPodcastで言ってたけど、学生が撮った映画のように気楽な雰囲気があって良い。僕は、この感覚は、隅から隅までロメロの目が行き届いている、完全にコントロールできていることによる気持ちよさだと思う。巨匠復活万歳なんだよ。あんたには大予算は似合わないんだよ。むしろ低予算で原点回帰したほうが面白いんだよ。そして、たった95分というのも素晴らしいんだよ。
 それにしてもロメロといい、「インランド・エンパイア」を撮ったデビッド・リンチといい、巨匠が予算つけて映画撮ることができない時代になったんかね。みーんなプライベート映画になる勢いだね。
 最後に、これも紹介しときます。スティーブン・キングの息子の短編集。ロメロの「ドーン・オブ・ザ・デッド」ピッツパーグ・ロケを題材にした素敵な短編が入っています。