新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

「ウォルマート」後編はあまり面白くなかったんだよ

 日曜夜の「松嶋×町山の未公開映画を見るテレビ」の感想を書くのを忘れていたよ。
 正直、前編を超えるほどの面白さはなかったんだよ。
 ウォルマートが国外の低賃金労働で激安商品を調達しているシーンは、中国とメキシコだった。しかし、それが本当にウォルマートから受注している会社なのか、証拠は映ってなかった。ちょっと撮り方が甘いと思う。
 ただし、アメリカ国内でウォルマートが放映しているコマーシャルを収録して、「ウォルマートはアメリカ製品を供給しています」(←実はほとんどが国外生産)、「ウォルマートは社員を大事にしています」(←労働環境は悪く、解雇は恣意的)などと反証を提示して批判する作り方はとてもよかった。
 日本だと、こんな感じで批判的に取り上げる企業の著作物を引用することは可能だろうか? 日本の裁判所はこうしたケースで著作権紛争が起きたとき、批判される大企業側に立った判決が出るかもしれないね。


 この映画の最大のがっかりは終盤だ。ウォルマートに対する反対運動が各地で盛り上がり、誘致(?)対象の地域から「来るな!」と反対され、住民投票で誘致が否決されるケースが相次いでいる、という。これらの盛り上がりが、映画の終わりらしいまとまり感を出している。町山の注釈では、実際この映画の公開後にウォルマートはそれまで寄付にしぶちんだったのが、ハリケーン・カトリーナの被災者には全米最大の寄付をしたという。それはいいことだよね。表現が実際の現場で力に転化したということだし。そういうことってあんまりないからね。
 けれど、ウォルマートの根本的なビジネスモデルが変わったわけじゃない。問題の最大の部分は残されたままだ。
 アメリカのドキュメンタリーはこんな感じで幕を閉じることが多いような気がする。大ヒットした「ボウリング・フォー・コロンバイン」も、「地元スーパーで銃弾を売らないように」と犠牲になった生徒と監督がいっしょに運動して成果を得たところで終わっていたと思う。そのスーパーはウォルマートだったかもしれないね。それまで提示してきた「銃への無規制」という問題の根本に迫った終わり方ではない。
 アメリカ人のドキュメンタリー制作者には、深さはともあれ、なにがしかのアクションを起こして、それがなにがしか相手に届いたという実感が大事なのかもしれない。ひるがえって僕は、そこそこの深さでの救いのある終わり方よりも、救いはなくてもいいからもっと深く問題に切り込んでもらいたいと思う。このテーマだと、このままウォルマートのビジネスモデルを突き詰めるとどうなるのか、といったことに向かってもらいたかった。まるで地域の反対運動がすべての問題を解決したような印象で終わるじゃん? それだと嘘でしょ。
 
 次の放映は「イエスマン」だって。これは政治的な「ジャッカス」みたいなもんじゃないかな。笑いながら見られるかも。楽しみなんだよ。