新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

少年期のトラウマが人生の些細なことまで左右すること

 暖かい日だった。気分が花見になったのだが桜はまだ咲いてない。では食事だけでも花見のように、ということでジンギスカンにした。
 
 近所のスーパーにはなかなかラム肉を売っていなかったので、4軒目でやっと見つけたのだった。それだけに努力が実って美味くてうれしいのだった。これで不味かったら救われん。
 で、ついに憧れのルクルーゼの調理器具を導入したのだった。これはグリルなのだ。焼き物用具なので、この上で焼き肉とか焼き鳥とか焼き魚とか肴はあぶったイカでいい、みたいなことをするのだ。まあ主目的は「野菜を焼いてたくさん食べよう」というのだが。
 
 そしてこのグリルはルクルーゼ名物の鋳鉄で、非常に重い。RPGで革の盾の次くらいに手に入る、重くて使えない盾のようだ。洗いにくい。女性には不評なのだが、僕は平気だ。当たり前だ。この重量が美味さを担保してくれていると思えば、重いだの手入れが面倒だの、屁でもない。
 僕はこんな重くて高価な調理器具を買うのは初めてだ。いや正確には先々月に南部鉄のすき焼き鍋を買ったが、あれは同じくらい重くてもまだ安かった。1万円以上の調理器具ってなんだよ、と思いながら買ったのだった。


 僕は一人暮らしを始めて三十年近い(四捨五入すると)けど、その間、こんな高価な調理器具を買ったことなんかなかった。今も使っている十数年前に買った鍋はアルミで表面フッ素加工してある、よくある安物だ。荒物屋で千円台だったと思う。フライパンは人からもらったものだ。食器も、最近まではもらったものと100円ショップの品中心だった。
 いやいや、十年以上前に、高価な調理器具に凝ったことがあるな。思い出した。こんなやつだ。
 
 そう、チタンのコッフェル。この数年はまったく持ってることも忘れてた。押し入れのザックの中に入ってるはずだ。忘れててもチタンだから錆びない。
 しかしこいつらは高かった。そして、買った当初はうれしくて、すぐに山に行くのが待ち遠しくてベランダで火を携帯コンロで使ったりしたな。焼き物をしたらチタンは熱伝導が良くなくて焦げ付いた。


 なんでこんな使いにくいものを喜んで買っていたのか? 今の自分には信じられないが、当時は確固たる理由があった。
 そもそも僕は、もう山になんか行かないけど、今も当時もアウトドアっぽいものが好きだった。とくに当時は、普段履く靴も必ずビブラムソールのものにしていた。市街地でもなるべく歩くことをモットーにしていた。酔っぱらって池袋から東武練馬まで歩いたことはよくあった。
 それからしばらくして、こんな本がベストセラーになった。
 
 同じようなことを考えていた人はけっこういるのだった。
 いや、僕は災害時に歩いて下宿に帰ろうとしていたわけじゃない。強迫的にビブラム底の靴にこだわったり、軽い調理器具にカネをはたいたりしたのは、深層意識下で「もっと遠くに歩いて帰らなきゃいけない」と思っていたからだ。
 それはつまり、中国(日本の)にある実家まで歩いて帰れ、という命令を受け取っていたのだ、僕は。
 誰から?
 たぶん、少年期にさいとうたかをから受け取ったのだ。
 
 この作品は僕が中学に上がる前後に少年サンデーで連載が始まった。その1回目を今でも覚えている。北陸かどこかの洞窟に遊びに来ていた主人公は、地震で連れとはぐれ、やっと地上に出たら風景が一変していたのだ。そこから彼は手持ちの道具だけを工夫して生き延び、歩いて東京に戻る。
 ほんとはまだまだ続くのだけど、この作品で一番面白いのは東京に戻るまでのくだりだ。十代の僕の頭に強烈な刻印をしるしたくらい、このマンガは面白かった。
 そして当時は五島勉の「ノストラダムスの大予言」ブーム。終末願望が日本に溢れていた。惑星直列とか、「ムー」とか、いま考えると超くだらないことにドキドキしていたね。よかったね。
 ほんとはさいとうたかをの作品は終末待望論ではなくて、カタストロフから秩序への回帰の物語なんだけど、そんな主題は読んでる誰一人として思い出せなかったのだった。当時は。
 そして僕は、東京に就職が決まってから、「いつかは徒歩で故郷に戻らなきゃいけない」と深層心理に刻み込まれて、無意識にそれっぽい記号に惹かれて生きてきたのだ。厚い靴底、アウトドア製品、健脚、身軽な人生、といったものに。
 三十年以上さいとうたかを「サバイバル」に呪縛されていた僕だけど、最近になってそれからやっと解放されてきた感じだ。重い調理器具を嬉々として買い求め、薄くて華奢なスニーカーを履き、無節操に自動車を乗り回すようになった。まあいいじゃん、なんて自分に言い訳しながら。
 しかし、さいとうたかをの呪いは実は僕だけじゃなくていろんな人に効いてるみたいだ。
 
 これとか、とても影響を受けてると思いませんか?