紙バッグの多さに怒りが
今朝、台所をちょっと片付けてて思わず怒髪天を衝いてしまった。
洋菓子やら衣料品を買ったとき、店が商品を入れてくれる紙バッグが大量に部屋の隅から出土したのだ。
紙バッグは、帰宅してすぐに捨てる気になるものではない。もっと耐久性がありそうなので、つい捨てずにとっておく。でも、けっして紙バッグは再利用されない。僕は紙バッグにものを入れて外出なんかしない。自分の鞄があるから。そりゃそうだろ? 紙バッグって、ゴミの一歩手前のものなんだよ。どんなにおしゃれな店のロゴが書いてあっても、四角いエッジが格好良くても、紙バッグに特段の価値はない。再利用なんかするもんか。
その紙バッグが、僕の狭い部屋を占拠している。これが怒らずにいられようか。
かつて日本経済新聞の夕刊・金曜の名コラムに「モードの方程式」というのがあった。著者は中野香織さん。素晴らしいコラムで愛読してました。
このコラムが終了して、日経新聞を読む価値は半減した。実はもうやめようとずーっと思っている。けどやめないのは新聞購読が喫煙と同じようなものだからか。
話がそれた。
「モードの方程式」の中の挿話に「ラッピング・レイジ」という新語があった。
CDの過剰包装をはがしているといらついて、つい怒髪天を衝いてしまうアレです。なんだ俺だけじゃなかったのかCDって剥きにくいって怒っているのは。って思いました。
CDの包装って、ナイフがないと剥けない。僕は。だから航空機で出かけた先でCD買うと、ナイフがないので非常にいらいらしながら包装を剥くことになる。誰か、航空機に持ち込めるCD包装剥き器を開発してくれ。
なんでも言語化しておくのは重要なことですね。
今僕はペイパーバッグ・レイジに囚われている。スーパーがくれるポリ袋、プラスティックバッグはゴミ袋として再利用できるので嫌いじゃないんだが、紙バッグは何の役にも立たない。本を売りに行くときくらいか。でも重たい本をたくさん詰めると紙バッグは耐えられないことがある。まったく帯に短したすきに長し。
そこでいわゆるエコバッグを持って買い物に出かけることが増えた。
このエコバッグというやつも使いにくいのだ。小さく畳めるのが特徴のものは、ものを入れたときに安定して持てないとか。丈夫で可愛いデザインなのに畳みにくいとか。肩にかけにくいとか。
そして今、台所の隅を見ると、エコバッグが三つ四つ。
エコバッグ・レイジになっちゃいそうだ。