新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

「不知火検校」が好きなんだが、人には言いづらい(2014のものに追記)

僕は勝新太郎が好きなのだが、とくにこれは好きだ。「不知火検校」。

不知火檢校 [DVD]

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どうして好きかというと、「盲人を不気味だと思う健常者の気持ち」が描かれていたからだ。

僕は佐村河内守の一件も好きなんだけど、あの騒ぎの頃、な~んとなく連想したので、この映画を借りて観た。(いまAmazonでは高騰してるが、大きめのTSUTAYAならレンタルできる)

これ、井上ひさしの戯曲「薮原検校」(1971)とそっくりな話なんだよね。まあ完全互換といってよい。
ちなみにこの映画は1960らしい。
そして、「不知火検校」は歌舞伎の演目にもなっている。最近も幸四郎がやったらしい。やっぱ幸四郎すごいな。
もともとは三世河竹新七の「薮原検校」が下敷きというから、そっくりなのも無理もない。

ただし、井上ひさしはあとがきか何かで「薮原検校は初代は知っておりましたが二代がいるとは知りませんでした、と研究者に言われて慌てた」と書いているらしい。
これはその学者先生が不勉強すぎるのか、当てこすりなのか、井上のホラなのか。そもそも井上の「薮原」の前に勝新の「不知火」が大ヒットしてるんだしな。

   *  *  *

この映画、どこまで考証してるか知らんが、座頭の所作など非常に面白い。

いま僕は身近に障碍者の知り合いがいないので、そういった所作になじみがない。なので、こうして映像で見せられるとぎょっとしたり、感心したりする。勝新がこれを演じた頃は、按摩さんといえば盲人だったり、門付けの人がいたりしたのだろうか。

「耳の聞こえないクラシック巨匠詐欺」が成立してしまった背景には、僕らは障碍者を隔離してしまい、無用な先入見を持たされてしまった、ということがあろう。
障碍者全員が善人なわけないし、乙武くんみたいに明るいわけでもない(乙武くんだって常時明るいわけじゃないし……と思っていたら2016には性豪としてキャラ転換して驚いた)。

   *  *  *

ダイバーシティというと、多様性を受け容れましょう、とか意識高い感じのお題目をつい唱えてしまうが、そういうことかなぁと時々不審に思う。そんなことより、障害者や外国人や、その他いろんな人と知り合いになりてえな、と思う。

以前、公園で野良猫を鑑賞?する仲間に、知恵遅れの女性がいた。猫の一匹一匹をよく見分けて、喧嘩して怪我してるだの、体調が悪そうだだの、よく観察していたのに感心した。最近は見かけないのだが、引っ越しでもしたのだろうか。

平日昼間の公園は、幼稚園児が集団で来てたり、老人が日向ぼっこしたりしてる以外に、障害者とボランティアが連れだって散歩していたり、いろんな人を見かける。それを見ている僕も含めて「弱者」が多いのが平日昼間の公園だ。そして、お互いを少しずつ「不気味」だと思っているのが面白い。だがそういう先入見は、挨拶やちょっと言葉を交わすだけでもだいぶ変わる。

   *  *  *

「巨匠詐欺」の場合、実は耳が聞こえてたんじゃん、金返せ、という人が出てきたら面白い。そっちの方がより真実に近いからだ。
僕は交響曲なんて、どうでもいい。

(※2014に書いたFacebook投稿に加筆して転載した)

シャルリエブド事件の頃、こんなことを考えていた(2015記す)

以下は、2年前ににFacebookに書いていたことだ。すっかり忘れていたが、再掲する。イスラムへの幻想的期待は相変わらずあるみたいだし、こちら側の頭も硬直化して、状況は余り良くない。

−−−−−−−以下、2015/2/11記す−−−−−−−−−−−−

ある人がブログで「イスラム教は、身分差別を許さない一神教世界宗教」としてこの本を薦めていた。

イスラム―癒しの知恵 (集英社新書)

イスラム―癒しの知恵 (集英社新書)

 

本書は近代の世俗主義国家システムを批判して、諸問題の出口はイスラム主義にある、という。タイトルの通り、イスラムに帰依することで「癒やし」を得られ、それが問題を解決する、という。

今起きている問題は、西欧的な近代(日本ももちろん含む)とイスラム主義には、決定的に相容れない核心部分がある、ということなのだが、この著者は、日本的な曖昧さならイスラムの良いとこ取りができる、みたいに読める(たぶん誤読だが意図的かもしれない)ような本になっている。

こういうのや、「利子を取ってはならない」イスラム金融とか、他宗教に寛容だとかの言説が称揚され、行き詰まった西欧的近代をイスラムなら超克できる、みたいな言い方がされているが……。

   *  *  *

「身分差別を許さない」というのは、もしかすると、絶対的な権威者が存在せず、「原理的には、あらゆる信者が『コーラン』とハディースに立ち帰って宗教的規範を判断できる」(池内恵イスラーム世界の論じ方』p093)といったことを指しているのかも知れない。でもこのせいで、ISやアルカイダの経典解釈は間違ってる、ときちんと言うことが出来ない、彼等にも一定の理がある、ということになってしまっているのだ。

   *  *  *

イスラム教は、構造的に暴走を抑止できないようになっている。

コーラン』2章256節に「宗教に強制なし」と書かれているそうだが、ここより後ろに「異教徒との聖戦を命ずる」と書いてあるという。神学解釈では、後ろの方が新しく、前の文言は更新されて無効になるらしいのだが、聖戦を批判する異教徒に対してイスラム教徒は前の文言を提示して「イスラム教について無知だ」と論難し逆襲する、別の時には後ろを根拠にして聖戦を主張する。論点ずらしの論法が常なのだという(池内『中東 危機の震源を読む』p158)。

こういう二枚舌は神学にはありがちで、他の経典宗教や仏教にもないわけではないと思う。だけど、近代世俗国家の中で認められた宗教は、いずれも世俗の人間が批判することが許されている。というか批判を許容することで、世俗社会の中に宗教の居場所が認められている。

ところが、イスラム教は無謬であり、神の言葉を訂正することは許されず、世俗からの批判も受け容れない。ここが問題なのだ。

   *  *  *

無謬なものはない、システムそれ自体を疑え、というのが近代的な世俗主義の原則なので、批判することによってシステムを点検強化していく。批判とかパロディが言論表現の自由として許されるのは、自我の発露や放埒の自由ではなくて、システム(社会)をより良くするため、悪くしないためのフェイルセイフ機構なのだ。

無謬なものがある、それは侵してはならない、とする社会は、ダメになる。北朝鮮もそうだし、イスラム主義も例外ではない。

(だから朝鮮高校にあの国の指導者を批判する自由があると認められない場合、日本の公金を与えることは原理的にできないのではないか)

   *  *  *

他宗教に寛容、という触れ込みも実は、一神教であるユダヤ教キリスト教は、イスラム教社会の中で二級市民的存在として認める、もちろんイスラム教に改宗する自由はある(なんと寛容なことか)、だけど当たり前だけどイスラム教から抜ける自由はないからね、それは人間をやめることと同義だから、というものにすぎない。もちろんここに多神教アニミズム信者の居場所はない。改宗するかこの地から立ち去るかしなくてはならない、というのが経典的な原則だ。

    *  *  *

シャルリエブドの下らないパロディ画は僕だって嫌いだが、あれはフランスにいるイスラム教徒に向けたものなのだから、僕が口を挟むもんでもない。まして「あれは言論の自由の濫用だ、あれはダメだ」というのはお門違いだ。フランス人にしてみれば、ああやってフランスのイスラム教徒に対して「一緒に共和国を作ろう」と呼びかけているのかもしれないし。

(だとしたら失敗した呼び掛けになるわけだが。だけど議論のチャンネルを力で破壊したテロはもっと失敗だし「言論の自由にも限度がある」なんて日和見は言語道断だ)

「日本人はイスラム教にも寛容な多神教の文化を持っている」なんて暢気な言説がある(ように僕には見える)けど、これなんか当のイスラム教徒にしてみれば大矛盾の夜郎自大もいいとこ、なんではなかろうか。

 

−−−−−−−−−−(以上、再録終わり)−−−−−−−−−

この頃は池内恵など読んで一所懸命勉強していた。今は守貞漫稿なぞ読んでいる。耄碌したものだ。

今の新聞は、現実を記事にしているのか?……宮古島市長選の記事を読み比べた

ちょい古い話になるが、先の年末年始は宮古島に居た。正確には、宮古の隣の伊良部島。今は伊良部大橋で往き来できるので便利だ。離島感がしない。

ある日、伊良部大橋で宮古側に渡ると、橋のたもとで幟を振って、通行する車に手を振っている人がいた。のぼりにはひらがなの人名。どうも、年明けにある宮古島市長選挙の事前運動らしかった。誰だったかは忘れたが。

   *  *  *

以下は、朝日新聞報ずる宮古島市長選の概要。

www.asahi.com

これをあらあら要約すると、「辺野古その他で政府と対立する翁長県政が支持されるかどうか」「ミサイル部隊など陸自配備計画の是非」が最大の争点、と読める。

だが僕には違和感があった。どうも、陸自の配備は宮古島市民の間ではあんまり話題ではない感じなのだ。

たしかに陸上競技場の近くには「自衛隊配備反対」の立て看や捨て看を見かけた。だがあの辺りには沖縄県職員組合の事務所?があり、そこが立て看の中心地なのだ。県教組は必ずしも宮古島出身者で構成されているわけではない。

   *  *  *

次に掲げるのは、開票翌日の、現職3選を伝える沖縄タイムスの記事。

www.okinawatimes.co.jp

あらあら要約すると、「争点は自衛隊配備だったが、大型建設事業での利益誘導を掲げる現職が僅差で勝ってしまった」という処か。

   *  *  *

最後に掲げるのは、宮古島の地元紙・宮古毎日の記事。これは投票前日「4陣営が打ち上げ」をした、という運動期間中の総括だ。4陣営、という、つまり保守も革新も2つずつに分裂した奇怪な選挙だったのだ。各陣営のスタンスをコンパクトにまとめてある。

www.miyakomainichi.com

これ見ると、「自衛隊」を言葉にしているのは「オール沖縄」候補1人だけ。残り3人は自衛隊という言葉すら使ってない。

候補のうち1人は「自衛隊配備反対」を訴えたが、他の3人は違うことを訴えていた、ということではないのか。つまり宮古島市民にとって切実だったのは、「自衛隊配備とは違うこと」ではないか?

(※ちなみに宮古島には地元新聞が「宮古毎日」「宮古新報」の2紙ある。本島に「沖縄タイムス」「琉球新報」が並び立っているのと似ている。でもスタンスは本島ほどガチリベラルではないようだ)

   *  *  *

遠い南の島の選挙、報ずるメディアが内地に近くなればなるほど、現地の空気とは違うものが、現地のリアリティとは違うものが記事にされてるような気がする。

翁長知事は本島や東京大阪では大人気だが、宮古八重山などの離島では人気がない。東京大阪の新聞には、「沖縄」というと「=翁長県政」と見えるかもしれないが、そんなの関係なく日々を送っている島民が大半なのだ。

本島の人たちの、素で平和を希求する感じは尊いと思うが、一方で、JALANAの飛行訓練がなくなって大不景気になってしまった伊良部島を見ると、かつて下地島空港自衛隊を誘致しようとした旧伊良部町議会の気持ちもわかるのだ。

(※この決議は後に否決されている。また民間機訓練終了と決議は時系列が違う。伊良部島は大橋開通で宮古からの観光客が激増して飲食店はバブル的景気になったりした)

   *  *  *

政治の実際とか、民情とか、経済とか、すべては白黒で割り切れたりしない。グレーゾーンの中で調整や妥協を積み重ねるのが現実のはずだ。だがTwitterで「#宮古島市長選」を検索すると、争点は自衛隊配備一点、という感じになってしまっている。

twitter.com

内地の新聞はめんどくさい現実を、わかりやすい二元論に還元し、わかりやすい構図で見せてくれる。内地の新聞はたしかに面白い。面白いが、それは島の民情とはかけ離れている。プロレスなら見て面白ければそれでいいが、島の現実をプロレス的に報じるのはどうなのか。

それに踊らされる内地の人々…Twitterのように限られたソースだけで見ている人々は、もう現実の島民とはまったく関係ない〝幻の宮古島〟しか見てない気がする。

   *  *  *

MXテレビの番組「ニュース女子」が「沖縄ヘイト」言説を放映した、という話題が盛り上がっているようだ。僕はテレビを見ないのでよく知らない。

「沖縄ヘイト」という言葉の他に「構造的沖縄差別」という言葉もあるのは知ってる。

だけど、島の選挙の争点を勝手に「自衛隊基地の是非」にしたりするのも、「構造的な沖縄への偏見」ではないのか。

とくに内地の新聞は、社論に合わせて現実をかなり角度をつけて切り取り、トリミングし、全体像からはまったく違う画にして見せているような気がする。

   *  *  *

新聞が事実を報じずに、売れる記事、ウケる記事、ポスト真実、オルタナ事実を書いているのは、まるで戦前みたいだ。と思いますが如何。

(※このエントリは篠原章先生のFacebook投稿にインスパイアされて書きました。)

沖縄の不都合な真実 (新潮新書)

沖縄の不都合な真実 (新潮新書)

 

少子化の原因は…回り回って…日本会議のせい!? 藤沢数希と菅野完が合体した(僕の中で)

 藤沢数希の「少子化の原因は、日本の結婚制度の欠陥にあり」をたまたま読んで感銘を受けた。

下記は、それを転載しているブログ。本来はフォーサイトの会員向け記事なので無料で全部は読めない。

blog.goo.ne.jp

   *  *  *
藤沢は、「日本の少子化問題は、結婚という金融商品の欠陥が大きく関係している」と云う。
そして、「金融商品に例えるならば、女性には、金持ち男性と結婚して子供を作る、という非常にめぐまれた選択と、誰とも結婚せずに生涯子供を産まない、という選択のふたつしかなく、その中間の選択肢がほとんどない」と結論する。

 フォーサイト連載「結婚と離婚の経済学」は大変面白そうなのだが、フォーサイトだから無料では読めない。以下に目次が上がっていた。面白そうだ。一番最後のエピソードは全文読めるようだ。

www.fsight.jp

 フォーサイト連載は今月新書になるらしい。 

損する結婚 儲かる離婚 (新潮新書)

損する結婚 儲かる離婚 (新潮新書)

 

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身も蓋もない話だが、真実だと思う。
この選択肢を狭めているのは、「子供は夫婦で作るもの」「家庭があるのが一番」「夫が養い、妻が家庭を守る」といった数々の先入見だと思う。ミソジニーもその一つかも。
   *  *  *
僕は藤沢数希が嫌いなのだけど、彼の理屈はどうにも否定できなくて困る。また、すべてを金融商品に喩える彼の書き方は、カネという比喩で何もかもいったん価値を平板にして比較するので、実は先入見を排除できてフェアだ、ということに気づいた。
本当に愛があれば、既婚者だろうが貧乏男だろうが迫って子供を作ってしまえばいいのだ、事実先進国で女性が稼げる国では婚外子がどんどん増える、という。日本では女性の所得が上がっている(相対的なものにしても)のに、婚外子は増えない。
これはつまり、子供を作るということを家庭や結婚とセットにしてしまう理想像・道徳律が悪い、ということだ。
   *  *  *
つまり、日本会議のような、夫婦別姓や庶子の権利に反対し、〝伝統価値〟を喧伝するやつが悪いのだ。

ほんとはオルタナ伝統のくせに。ウソツキ神道なんて滅んでしまえ。いや、心配しなくてもあなた方が意図せず推進している少子化で滅びるわ。

ということで、ここでやはり僕が嫌いな菅野完の主張に接続されてしまう。困るなあ。

盛力健児『さらば、愛しの山口組』感想(2014記す)

以下は2014.02.09にFacebookに投稿していたものです。

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鎮魂 〜さらば、愛しの山口組

鎮魂 〜さらば、愛しの山口組

 

大変面白い本だった。こんな本を出せるところに宝島社の凄さがあるんだな。残念ながら僕がいた会社じゃ無理だろう。

関西弁の語りくちがよく、美しい文章だった。構成も非常に練られている。
三国志演義を思い出した。とくに後半の、関羽張飛が死んでいくあたり。悲劇なんだな基本的に。

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読んでいくと、著者周辺の大物たちが続々と鬼籍に入っていく。殺された人もいるが、肝硬変が多い印象。がん、脳血管障害もいるが、それよりも不摂生で若くして病気になってる人が多い。著者は頑健で服役中も体を大事にしていたようだ。

読み終えると、結局、トップに君臨することが本当の勝利なのか、よくわからなくなる。司忍六代目もどうも傀儡化してるみたいだし。そんな苛烈な権力闘争をやってると早死にするのも当たり前だ。何百億貯めたって意味が無い。

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興味深いのは、「大義」がボールのように行ったり来たりすることだ。
渡辺五代目は宅見若頭に傀儡化され、「当代への忠誠」を大義として中野会に宅見を殺させた。
そこで大義の在処が殺された側に移るのである。司若頭は宅見組二代目入江禎を連れて「親の仇は取らなあかん」の一言で大義はこちらにあり、と宣言して渡辺を追い込む。なんだか将棋のようである。

著者は自分の大義を「田岡の親分と田岡家」「山健の親父」への忠誠に置いている。これは動かない。だから著者のスタンスは揺らがない。歴史を書く側の特権だな。

読み所が多い。中部国際空港の利権で司忍は経済力をつけ、権力を奪取したとか。刑務所に行くことの“勲章”と“デメリット”とか。冷静に比べるとデメリットの方が多いのだが、だから誰もが服役を避けるようになると、服役を恐れない者が服役を恐れないというだけでメリットを受けるようになる。ゲーム理論みたいである。

   *  *  *

山健組は安原会の伝統を汲むという。『仁義なき戦い 代理戦争』で安原政雄に扮した遠藤辰雄はじつに名演であった。

正史の三国志を書いた陳寿は蜀の人だった。そして三国志演義の主人公は劉備たちである(演義は正史ではないけど)。

広島抗争の正史は広島県警『暴力許すまじ』、中国新聞社『ある勇気の記録』なのだろうが、僕らが記憶しているのは美能幸三の手記による飯干晃一『仁義なき戦い』である。ところで産経新聞社は『極道ひとり旅』(これは美能幸三の単著)電子書籍にしてくれんかな。
で、本書はこれから山口組抗争史について誰もが参照する文献になるだろう。歴史は敗者によって書かれたものが残っていくのであるなあ。

都知事選は終わったが、本当に舛添が勝ったのか、僕にはよくわからない。彼はこれから大変な権力闘争に晒されるのだ。一年もつのか、どうも怪しく思える。

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−再掲ここまで

前々回の都知事選って今頃やってたのね。で、舛添は2年半で失脚したのか。

権力ってすごいね。

今更ですが佐村河内守一件が僕は好きだ

3年前に書いていたFacebookの投稿を転載する。

ここで引用したなかに池田信夫のブログエントリ「『作家』の消失」があるが、音楽家にかぎらず小説家も最近は消失しているらしい。

商業作家が一堂に会してその場で競作、というイベントがあったそうだ(食い詰め作家のノベルジャム参戦記)。北斎が大きな紙に達磨を描いたりするやつなら見応えがあろうが、これは見世物になるのかどうか。連歌師とかのノリなのかなあ。

いずれにせよ、作家が作家先生でいられた時代は済んだのか。佐村河内守は、今風に云うと「交響曲作曲家」をセルフブランディングしたのだろう。もちろんセルフブラ云々には演出も許されるよね。僕は好きだ。

 

以下、2014年2月8日のFacebook投稿から−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

週刊文春」二月十三日号の佐村河内記事は読み応えがあった。詐欺事件に関してはもうネットにも情報が溢れているけど、ネットに転載されていない地の文が面白いのだ。
----------(以下、引用)
 私(筆者:記事を書いた神山典士のこと)は、一三年一月に『みっくん、光のヴァイオリン』という児童書を上梓した。そのオビには、みっくんの師とされた佐村河内の写真を掲載し、言われるままにそのコメントも書き込んでいる。当時、私は佐村河内の嘘にまったく気がつかなかった。言わば、善意の被害者だが、読者からすれば「共犯者」である。(同誌p026)
----------(引用ここまで)

率直だと思う。また、この一文は、佐村河内を絶賛ないし評価した文化人、NHKスペシャルや「金スマ」への批判になっている。

----------(以下、引用)
 この頃佐村河内は、シンセサイザーを駆使して簡単な作曲をしていた。
 対する新垣はこの頃、母校である桐朋学園大作曲専攻の非常勤講師として、初めて専門の音楽で定職を得たところだった。普段は町のピアノ教室やヴァイオリン教室の発表会の伴奏をしたり、レッスンの伴奏をしたりして糊口を凌いでいる。少年時代には、ピアノでプロのヴァイオリニストと共演し早熟の天才と呼ばれたこともあったが、音大の作曲科に進んだ時点で、「卒業したら失業者」を覚悟しなければならない。一般人には理解しがたい不協和音を駆使する現代音楽の作曲家である以上、その作品が日の目を見ることは本人ですら想像できないのが、日本のクラシック界の現実だ。(p027)

 むしろ、大学卒業後一年間研究室に残ることができ、二十五歳で非常勤講師の職を得られたことは、編曲家になったり音楽事務所に勤めたりする同級生たちとは違う、音楽の王道に踏み出せたことになる。たとえ大学から得られる報酬は月に数万円であったとしても、その環境をよしとしなければならない立場だった。(p027)

現代音楽の世界では、自作の曲を人に聴いてもらおうと思ったら、自分でホールを借り、演奏家を頼み、交通費を払って練習場も確保して、やっと一日だけ、親戚や仲間が集まってくれる市民会館程度のところで演奏するだけです。しかもその楽曲がCDになるとか、メディアで批評してもらえるとか、そういうことはほとんど想像できません。(p028)
----------(引用ここまで)

クラシック音楽というと、僕らはバッハ、モーツァルト、ベートーベン、ブルックナーやらショスタコービチを連想するけれど、どうも日本のクラシック業界というのはそういうのと関係ないようだ。
いや、コンサートではこれら古典作家の作品でないと客が入らないから、〝演奏家の業界〟では大事にされている、と言うべきか。〝作曲の業界〟が不可思議なのだ。そもそも「卒業したら失業者」ってなんなんだ。
ここら辺の事情をコンパクトに説明したのが、下記の池田信夫ブログなのだろう。

ikedanobuo.livedoor.biz


クラシックは「古典」の意の筈だが、その業界で行われているのが「前衛音楽」だったり「現代音楽」だったりする奇妙さを、今までそんなに気にしたことがなかったのだが、実は物凄い矛盾が横たわっているような気がする。

現代美術も、便器を「作品」としたり「梱包芸術」とか田圃に傘を並べたりしてるのを冷静になって見れば、何だか失敗したギャグみたいにしか見えない。モンティパイソンのスケッチと現代美術の違いを正確に述べることは可能なのだろうか?
音楽にも美術にも、こうなってしまった事情とか蓄積の歴史はあるのだが、鬼面人を驚かす類いの現代芸術は、それそのものをじっくり見るとまったくナンダカナなものばかりだ。

ハーモニーを持った古典音楽風の曲は、映画音楽など伴奏音楽としてなら広い市場がある。フィリップ・グラスはタクシーの運転手もしていたが、たくさんの映画音楽を作っており、それらのCDはたぶん「イクナトン」「海辺のアインシュタイン」よりずっと売れている。武満も伊福部も映画の人、というのが普通の人の認識だろう。僕だって伊福部の作品はサントラしか知らない。

「調性音楽」には市場があるのに、クラシック業界の本業の人たちは「現代」だとか「前衛」しかやらないので、昔風の「交響楽」の新作市場はぽっかりと空洞になっていた。松本清張は『砂の器』には「交響曲“宿命”」を書いていない。そんなもの作る作曲家はいないし、そんなコンサートはあり得ないからだ。
そこに佐村河内が「交響曲第1番」を〝売り出す〟チャンスがあったというか。


ネットでやりとりされる不確かな情報に、「佐村河内は創価学会とつながりがある」というものがあった。彼がメジャーになる機会を得られたのは創価学会の人脈のおかげだろう、というのだ。池田大作の口利きを無視できる大手メディアはあまりないのは確かだ。

僕は、それがカルト宗教だろうと、口利きやごり押しは全部いけない、とは思わない。素晴らしいものであれば、誰が口利きをしたって価値はあるし、ゴリ押しで世に出ることもあって良いと思う。創価学会のお墨付き、けっこうじゃないですか。
しかしそれは、「この作品には価値がありますよ」という保証、裏書きになっていればこそ、の話だ。世の多くの「口利き」「ゴリ押し」「コネ」は、価値がないのに機会が与えられ、価値がないのに「大舞台に登場したのだから価値がある」という本末転倒が起きているから、問題なのだと僕は思う。

タッキー主演の大河ドラマが実現したのとか、〝創価学会の威力〟なのだろうが、それは結果的に〝創価学会のゴリ押し物件は屑〟という評判にしかならなかったわけで、自身の推薦力・品質保証力を大きく毀損してしまった。残念なことである。
山本リンダとか素晴らしい歌手なのだから、リンダに匹敵する才能だけを推薦してくれればよいのに。

佐村河内を賞賛したとして五木寛之許光俊のコメントが晒し者にされている。五木寛之は、古謝美佐子とかいろんなアーティストを自分の講演会で歌わせてメジャーにしてきた。鑑定眼、品質保証力があると思っていたのだが、残念なことである。

僕は〝キュレーション〟という言葉があまり好きでない。本当に鑑定力のある人はTwitterでキュレーションなんてやらないと思うし。佐村河内という〝地雷〟を仕掛けたのは一人か二人の黒幕かもしれないが、それを〝大きな爆弾〟にまで育てたのは、日本全国のアキメクラどもなのだ。自伝を読んで面白いと思った僕もその一人だ。佐村河内氏の人生、自伝ほど面白くないのが残念だ。

 

以上、転載終わり−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

などと3年前は暢気に書いていたわけだが、これだけ噓ニュースとパクリが増殖すると、目利きにもいちいち峻別はできない。最近は新刊書籍もWikipediaの間違いをそのまま載せたりして信用できないわけで、ネット以前、ざっと1999年以前の本ならまあまあまともかな、と思ったりします。

宮古島の伝説の屋台「サムライキッチン」の思い出

宮古島、ホテルアトールエメラルド向かいの駐車場の隅に、いまでもバラックが建っていると思う。

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いまGoogleストリートビューで見てみると「宮古そば」の看板が出ているが、もともとは「サムライキッチン」の跡地だ。

   *  *  *
サムキチこと店主のはたぼー(本名ハタノ君だそうだ)は、この駐車場の隅にライトバンを停めて屋台を始めた。駐車場の隅で赤提灯が風に揺れる屋台は妙に酒飲みの吞みたい心を刺激し、繁盛した。

やがてどこからか資材を調達し、仲間と力を合わせて恒久的なバラックを建てた。これが今も残るバラックだ。中はキッチンが大きめで、複数の料理人が働きやすくなっている。「サムライキッチン」の主力は韓国料理で、七輪の焼き肉と当時はあまり目にしなかったPETのマッコリが美味かった。

 

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はたぼーは、駐車場から下里通り(平良の目抜通りの一つ)に越して、今度は居酒屋「南国酒場フジヤマ」を始めた(写真はストリートビューで「この辺だったかな?」という曖昧な場所。下里通りです)。フジヤマは焼酎・日本酒主体の和風というかトラディショナル赤提灯居酒屋であった。彼の出身地・丹波の食材や酒が置いてあった。

 

hirokouji.ti-da.net

※上記のブログは、宮古島の飲食店を本音で紹介してる。こちらのブログ主さんとフジヤマのカウンターで出くわして、「ブログ楽しみにしてます」と云ったらほんとに奢ってくだすった。ごちそうさまでした、キョー兄ィ。

 

はたぼーは、一時はさらに中華?の店も経営し、移住ナイチャーの立志伝中の人wとも言われた。
僕はサムキチ時代によく飲みに行った。ふだん焼肉やマッコリはやらないのだが、なぜか宮古島でばかり焼いて飲んでいた。美味しいし、気のおけない、観光客にもジモティにも人気の良い店だった。

   *  *  *

はたぼーには持病があった。白血病とのこと。だが奇跡的な寛解をみせ、結婚して一児をもうけた。
彼がフジヤマその他を閉めたのはいつだったか、2年くらい前かな? 病気を治してる、と聞いていた。
今朝になって知ったのだが、この1月10日に亡くなられたとのことだった。

 

※下記のブログエントリのコメント欄にご友人が投稿されている。

ameblo.jp

   *  *  *
もう一度、彼の店で飲むのを楽しみにしてたのだが。

メメントモリ
死があるから生が輝くのだ。

はたぼーの店で過ごした時間は本当に楽しかった。ホテルセイルインから、暗い西里の坂道を海岸通りへ下っていくのはいつも楽しみだった。店の裏には大きなフクギの木があって、横の道には大きなフクギの実がぼとぼと落ちていた。ビーチサンダルでこれを踏むと僕は転んだ。

ここ数年は宮古島本島?に泊まることが少なくなり、伊良部島で吞んでいたので、フジヤマには二回ほどしか行ってない。惜しまれる。

   *  *  *

今日は東京では畏友ががんの手術を受ける。成功を祈っている。成功するに違いない。そしてまた会おう。
メメントモリ。それを忘れずに。